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2010年10月

2010年10月31日 (日)

春に降る雪⑧ 第三章その1

「もう、結構ですよ。現場の状況から見て、間違いなく自殺でしょうし」
「ご苦労様」という言葉を背に、僕は店の外に出た。店の中の出来事が、まるで夢であるかのように、真昼の麹町はいつもと変わらない街並みをたたえている。
何だか、頭の中がじぃんと熱い。

朝、僕が『エフ』についたとき、裏口には鍵がかかっていなかった。
マスター、もう来てるのか。
ドアを開けて、中に入る。
「おは…」
言いかけて口をつぐんだ。
しんとした店内。マスターの姿が見えない。
どういうことだ…?
「マスター…?」
呼びかけながら、目で店内を探る。マスターの姿は、やはりどこにも見当たらなかった。
買い物にでも、行ったのかな。
そのときはまだ、深く考えていなかった。
ユニフォームに着替えて、とりあえず準備を始めようとカウンターに入った。
いや、入ろうとした。
「マス…ター?」
悲鳴も、嗚咽も、何も出なかった。
床に横たわるマスターの体。
昨日見た、そのままの格好で、彼はカウンターの床に倒れていた。
え?
えっと、
こういうときはまず…
電話を…電話電話電話電話。
いや、いやいやいや、その前に人工呼吸とか、とか、とか。
あ、寝てるだけだよね、そうだよね、そんなわけないよね、顔青ざめてるもんね、そうでしょ、そうなんでしょ、マスター?
今日、食材何来るんだろう?
早くしないと、手遅れに!
あ、手洗ってないや。
早く早く早く早く!
急げ急げ急げ!
えっと、何を急ぐんだっけ?
マスター。
ハングアップするほどに、目まぐるしく回転する脳みそとは裏腹に、
体は、一言も言うことを聞いてくれなかった。
どれくらい呆然と立ち尽くしていただろう?
永遠?
あるいは、一瞬?
僕はポケットからケータイを取り出すと、
震える手にムチ打って、1、1、0、の順番でダイヤルした。

店に来たのは、何人かのいかにも警察らしい制服を来た男たちと、タバコを咥えた茶色っぽいヨレヨレのスーツを着た男だった。制服の男たちが、合図もなしに一斉に仕事にとりかかる。それぞれが小脇に抱えた道具箱から、めいめいの道具を取り出して、作業にあたっていった。
一人ペラペラと手帳をめくっていたスーツの男が、
「…君は?」
と、傍らに立っていた僕に、面倒くさそうに聞いてきた。僕が黙っていると、
「あぁ、私はこういう者です」
僕の不審がっている視線にようやく気付いたのか、これまた面倒そうに胸ポケットから黒い手帳を取り出す。
警視庁、の文字。男は1秒ほど中身の顔写真が載ったページを開いて見せ、すぐに閉じた。
「君が、通報者だね」
「…はい」
「えっと、この店の…」
「アルバイトです」
「そうか。えっと…」
よれよれスーツの刑事はちらりと僕の胸元の名札を見て、
「フユキくん。詳しい状況を聞かせてくれるかな?簡単でかまわないよ」
どうやら、簡単に済ませたいようだ。
僕が何か言う前に、刑事はテーブル席にどっかりと腰を下ろしていた。

110に電話をした後、僕はそっとマスターの側にしゃがみこんだ。
血の気がないマスターの顔。悪寒が体中を走り抜ける。表情は穏やかで、眠っているように見えた。
そっと手首をとった。やはり脈はない。生きていたときの暖かさを忘れた体は、不気味な冷たさをたたえていた。
マスターが倒れている奥のほうに、小さな小壜が転がっていた。茶色い、薬を入れるような小壜。ラベルは剥がしてあった。横になっている壜の口のあたりに、一粒だけ白い錠剤が落ちていた。先ほどの電話での声が耳に甦る。
現場ののものには一切触れないで、警官の到着をお待ちください――
僕は慎重に錠剤を拾うと、ポケットに入れた。
ほどなく、シャッターを叩く音が聞こえてきた。
『警察です!開けてください!』

「…という感じで脈を確認してみました」
刑事の質問に答え、僕は110番をした後のことを話した。もちろん、錠剤の件は伏せておいた。
「それは、電話の後に?」
「…はい」
「どうして、救急車を呼んだりとか、救命措置を図ったりとか、しなかったのかな?」
いらっとするような口調で、刑事は質問を投げかけてくる。じっとり獲物に巻きつくような、蛇を連想させた。
「それは…」
問われても、答えられなかった。確かに、冷静に考えればそうするのが道理だ。だが、あんな状況を目にして、冷静でいられる奴がいるのか?
昨日まで、何事も無く元気だったマスターが、
青ざめた顔で、横たわっていて、
胸も動いていなくて、
死の匂いを纏っていて、
恐くて、
怖くて、
触れることもできず、
逃げることもできず、
ただ、見ていた自分が、
苦しくて、
悲しくて、
「怖かったんです」
正直に、答えた。
「冷静には、なれませんでした」
刑事は、柔らかな物腰で、しかし刺すような目線をぼくに投げかけている。息が詰まりそうだった。
「…そうか」
刑事はタバコに火を点け、煙を吐き出す。
その視線に、疑惑の色を感じた。
僕が、疑われているのか?
嘘をついていると?
制服姿の男が一人、刑事の側まで来て、何かを耳打ちした。大きく頷く刑事。男は戻り、刑事は手帳を閉じた。タバコを揉み消し、こちらに向かってあからさまな作り笑いを浮かべる。
「今日はもういいよ、フユキくん。ご苦労様でした」
連絡先だけ控えさせてください、と刑事は続けた。
「もう、終わり…ですか?」
「ああ、もう終わりだよ」
作った笑顔を貼り付けたまま、刑事は答える。胸がむかむかした。
「ひとつ、聞きたいんですけど」
「何だい?」
「マスターは、」
声が掠れるのが、自分でもよくわかった。
「…殺されたんですか?」
刑事は困ったような表情を作ったが、やれやれと言った調子で、言った。
「断定はできないが…おそらく自殺だろうね」
ジ、サツ?
どくん。
「薬の過剰摂取によるものかな…。詳しくは、調査中だ」
刑事の言葉がどこか遠くに聞こえる。
自殺。
どくん。
心臓の音はうるさいくらいに近く聞こえるのに。
どくん。
マスターが、
マスターは、
どくん。
自ら、命を絶った?

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2010年10月26日 (火)

デクスター

マウス変えましたっ!!

って、色変えて言うほどのことでもないか…。

お陰様で作業効率がすこぶる良くなり、ほくほくの遊です。言うなれば鳴門金時の石焼いもです。

えっと、小説版デクスターの新刊がでたので思わず買ってしまいました。いや~ネット社会って怖いね。(某アマ○ンとか)

デクスターを知らない方に説明しましょう!デクスターとは…この小説の主人公。マイアミ警察の血液専門の鑑識官であり、だが実は裏の顔は冷酷な…

おおっと、…以下の項目は良い子には刺激が強すぎるぜ、アミーゴ!

ってな感じです(何のこっちゃ)。

「春に降る雪」いかがでしょうか?今読むと、我ながら文章が若いな(笑)まぁ、一応最後まで掲載させてもらいますので、よろしくどうぞ!

若いついでに(?)今日は僕が中学生のころ初めて書いた詞を掲載しゃうぞぅ!(酔ってません。あしからず)

さすがに懐かしいな…

ちなみに題材は、「いちご同盟」です。教科書に載ってたやつ。

それでは今日はこの辺で~


「Never Forget」

もう 動かない唇に そっと口づけて
窓の外の景色が にじんで映る
時に引き裂かれた愛を 心に抱きしめて
目を閉じれば思い出す くったくのない笑顔

出会ってしまった僕らに 時が告げる別れのとき
愛を確かめ合うことすらも できないままに

I think you forever あなたのことを想ってる
I never forget you ずっと いつまでも…

あなたとすごしていた日々が 永遠に続くと思ってた
もうなにもすべていらないから あなたに会いたい…

さよならもいえないままに 時間が告げる別れのとき
最後に一つ伝えたかった“ありがとう、愛してる”と…

I think you forever wow…
あなたのことを想ってる
I never forget you wow…
ずっと いつまでも…

I think you forever 想い出 強く抱きしめて
I never forget you 永遠に忘れない…

I never forget you…



…初っ端こんなん書いてたのか、僕は(笑)

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2010年10月23日 (土)

春に降る雪⑦ 第二章その3~回想2

僕の住んでいるアパートは、駅から歩いて15分程度のところにある。バス・トイレ付きのワンルーム。一人暮らしには手頃な大きさだ。いや、むしろ広めだと言っていいかもしれない。住宅情報誌の、たまたま開いたページにあったのがこの物件だった。唯一のマイナスである駅からの距離も、慣れればなんてことはない。家賃も安いし。住めば都だ。
せっかく来てもらったので、晴香には夕飯をご馳走することにした。駅前のスーパーで買出しをして、家路につく。他愛も無いことを話しながら。
「いや、ホント、天才なんだって」
「へぇ…なんか、すごいんだね」
「なんていうか…素朴なのに異色、みたいな。とにかく、聴いてみて欲しいな」
晴香が僕に力説する。おすすめのCDの話だ。
「泣けて、笑えるのは、この人の歌だけかもね」
「そうなんだ」
「聴きたい?今度貸すよ。おすすめは、ライオンとクリスマス」
「ぜひぜひ…あ、ここが僕の家」
誰かと話していれば、15分なんてあっという間だ。
新しくはないが、さほど古くもない、5階建てのアパート。僕らはエレベータに乗り込んで、5階のボタンを押した。
「おかえりなさい、あなた。パンにする?ご飯にする?それとも、お・い・も?」
そうだ、咲々がいたんだ。すっかり忘れていた。
ていうか、微妙に変わってるし。
晴香が僕の左斜め後ろで目を丸くしているのが、背中越しにありありと伝わってくる。
僕が何と説明しようか迷っていると、咲々は僕の後ろの晴香に気づいた。
「あ、…ひどい!新婚早々浮気だなんて!『俺は浮気はしない。たぶんしないと思う。しないんじゃないかな。』って言ったじゃない!」
言ってねぇし。
ていうか結婚すらしてねぇし。
「結婚…してたんだ。…あ、あたしお邪魔だったね。ごめんごめん、もう帰るよ」
晴香の顔が微妙に引きつっている。
ふつうに信じちゃってるし。
「いや、違うから…」
なんだか、うんざりしてきたな…。
「じゃ、じゃあ、あたしはこれで…」
踵を返しかけた晴香を止めたのは、意外にも咲々だった。
「あぁ、待って待って。新婚ってのは単なる冗談だから気にしなくていいよ。ほら、ペンギン皆兄弟ってよく言うじゃん」
人間皆兄弟、だろ。
意味わかんねぇし。
「は、はぁ…」
さすがの晴香もついていけないようだ。
「ま、あがってあがって。狭いところですけど」
お前が言うなよ。

「で、フユキ、紹介しなさいよ」
「あ、えっと、こちらハルカさん」
晴香が軽く頭を下げる。僕は晴香の方に向き直った。
「で、こいつが幼馴染みのササです」
「フユキの2号でーす。よろしく☆」
って、おい!
「そう、あたしは永遠のNO・2…」
お前、誰だよ。
「そんな…安心してください。あたしとフユキくんは、友達ですら、ないですから」
晴香が真面目にフォローする。
僕が、さり気なく痛恨の一撃を食らったのは言うまでもない。
友達ですら、ないレベルか…!
まぁ、一年前を合わせても、まだ会って3日なんだし。当然っちゃ当然なんだけど。
何を期待しているんだ、僕は?
妄想を振り払え!
「いいの。気休めはよして…。私、ここを出ていくわ…ってことで、ごゆっくり~」
咲々はひらひらと手を振って、
「まぁまぁ、あたしのことは気にせず、フユキとえっちするなりなんなり、好きにしてくださいな」
…お前、それしかないのか。
微妙な捨て科白と共に、咲々はあっさりと出ていった。
とりあえず、沈黙する僕たち。
世界で最も台風に近い人間、嶋田咲々。
ひとまず、台風は去った。
…と、思いきや再びドアが開いた。
「あ、フユキ、言い忘れたけど」
戻ってきた咲々は、そう言って僕の耳元に口を近づけた。
僕も何かと思い耳をそばだてる。
ふぅっ
「ひっ」
全身に怖気が走った。耳は弱いのだ。
咲々は僕の反応に満足したらしく、
「あはは、じゃあね~ばっはは~い」
再びドアの外に消えた。再び沈黙。
「…」
無言で晴香を振り返る。
「…っ」
晴香は声を殺して爆笑していた。机に突っ伏して、手のひらでばんばん叩いている。
僕はとりあえず彼女の対面に座った。
顔をあげた晴香はまだ息たえだえだった。
「…あはっ、フユキくん、彼女とすごい仲いいんだね」
「…まぁね」
ちょっと自嘲気味に、僕は言った。

「ところで、具合はどう?」
晴香は砂糖入りのコーヒーを啜った。実は甘党らしい。
「もう大丈夫。ありがとう」
僕はブラックを啜る。甘い飲み物は苦手なのだ。食べ物は平気なんだけど。
台所に、昨日まではなかったはずのコーヒーメーカーがあったので、早速使ってみた。咲々が持ち込んだのだろう。冷蔵庫の中にもいろいろ入ってたし。意外とまめな奴だ。
場に沈黙が降りる前に、晴香が口を開いた。
「フユキくん、昨日言おうかと思ってたんだけど…」
「何?」
「もしかして、あたしのこと忘れてた?」
どき。
正直に言えば、瞬時には思い出せなかった。それは事実だ。
僕が答えあぐねていると、
「1年近く前のことだから、覚えていなくても全然かまわないんだけど…」
晴香は続けた。
「正直に答えて欲しいんだ。あの時のこと、どこまで覚えてる?」
晴香が僕の目を覗き込む。
全てを見透かすような目で。
「構内を案内したのは、覚えてるけど」
あきらめて、僕は正直に答えた。
「その後は?」
その後?
その後、何かあったのか?
「覚えてないんだ…」
晴香の瞳が曇る。
僕は、
僕は、一体何をしてしまったんだ?
一年前の、あの日。
『なんで、辞めたの?』
耳に響く残響。
なんで、なんで、なんで。
「あ、もうこんな時間」
晴香が時計を見る。つられて僕も目を向けた。まだ20分くらいしか経っていない。
「ごめんね、それじゃ、あたしはこれで」
いそいそと席を立つ晴香。
僕は呆然として、何も言えないまま、晴香の後ろ姿を見送った。

計ったかのように、すぐに咲々が戻ってきた。
咲々は黙って、呆然としたまま動かない僕の真正面まで歩いてきて、
すぱん。
いきなり、僕の頬に平手打ちをかました。
一切の手加減なく。
「目、さめた?」
咲々は唇を斜めにしながら、
「女の子泣かせるなんて、フユキちゃんもだいぶいっぱしになったじゃん」
「…」
泣いて…いたのか。
僕が何か、言ったか?
それとも、一年前?
僕は…?
「真実って言うのは、ときに残酷なもんなんだよ」
咲々は言う。
「嘘のほうが、優しいときもある。今みたいにね」
今みたいに?
聞いていたのか?
「言ってもわかんないとは思うけど…でも、ひとつだけ忠告してあげるよ」
「…」
「『行くな』フユキ、お前には向いてない」
うるせぇよ。
行くしかないってことくらい、僕にでもわかる。
僕は、スイッチが入ったように、家を飛び出した。

駅までの道を、僕はひたすら走った。どれくらいぶりだろう?こんなにも本気で走ったのは。
はぁ、はぁ
息が苦しい。肺が潰れそうだ。
晴香を見つけられないまま、駅に着いてしまった。
ホームにそれらしき人影はない。どこだ。
ちきしょう…!
「フユキ…くん?」
振り返ると、晴香がいた。
夢じゃないよな…?
僕は思わず彼女の肩を掴む。
「え?」
「よかった…ハルカ」
何を言うかなんて、考えてなんかなかったのに、スルスルと言葉が出てくる。
まるで、魔法みたいに。
「ごめん…いや、覚えていないのは謝るよ。だけど、本当なんだ。それで責任逃れをしようとか、そういう意味じゃないことは、わかって欲しい。って、まぁ何があったのかはわかんないんだけど、ってそれは無責任か?とにかく、許して欲しい。ごめんなさい」
何だか支離滅裂だった。
ぽかんと口を開けて聞いていた晴香は、一秒遅れて、
盛大に吹き出した。
「ぷっ…あはっあははは!…フユキくんって、ほんっと、まっすぐだよね!」
えーと、
褒められてる…のかな?
今度は僕のほうが戸惑ってしまった。
「あはは…ごめんごめん。…ありがとう。すっごく、嬉しいよ」
とりあえず嬉しいんだっら、いっか。
深く考えないことにする。
「わざわざ追いかけてきてくれたんだ…ありがとう」
改めてお礼を言われると、なんだか恥かしくなった。肩を握ったままだったことに気付いて、あわてて手を離す。晴香はさして気にした様子もなく、
「フユキくん…明々後日のお昼、空いてる?」
明々後日は…
「たしか、空いてると思うけど…」
「じゃあ新宿駅で待ち合わせね。あたしがおごるからさ。正直に言ってくれたお礼、ってことで」
「え、あ、うん、オッケー」
なんだかよくわからない展開になってきた。
お礼…って?
「あ、そういえば番号知らなかったね」
揃ってケータイを取り出し、赤外線で番号を交換する。
「オッケー。じゃあ、また連絡するね」
タイミングよく、
あるいは悪く、
電車が滑り込んくる。
もしダメだったら連絡して、と言ってから、晴香は電車に乗って、僕に手を振った。
僕は、それを見送る。少しだけ、晴れやかな気分だった。

家に戻ると、咲々がタバコをくゆらせながらコーヒーを啜っていた。そうか、こいつ吸うんだっけ。
しっかり灰皿も持ち込んである。
「おかえり」
「…ただいま」
テーブルの上には咲々のぶんと、もうひとつ淹れたばかりのコーヒーが置かれていた。こういうところで気が利くのが彼女の魅力…らしい。それを自分で言わなきゃもっといいだろうに、と常々思う。
対面に座って、黙ってコーヒーをすする。
「どうだった?ちゅーしてきた?」
ぶっ
本日2回目の吹き出し。
「あ、してないの?初めてのチュウ」
「まぁ、ね」
口元を拭いながら答える。
「相変わらず奥手だねぇフユキちゃんは。キスから始まる夜はアツいのに」
さいですか。
「まったく、優しい嘘ついてみた甲斐がないじゃん」
え?
嘘?
僕が、ぽかんとしていると、
「あれ、気づかなかった?ハルカちゃん、別に泣いてなかったでしょ」
泣いて…なかった?
な、何だとぅ!
「ササ、お前…」
まぁ、でも、おかげで晴香は笑ってたし。
これでいいのだ。
…って、咲々ウィルスの影響が。うぅ、やばい。そのうちあいさつが『こにゃにゃちわ』になってしまう。
僕の小さな逡巡に気づくことなく、咲々はタバコの灰を落とした。
「そういえば、あたしんときも散々引き伸ばしたもんなぁ」
「そうだっけ?」
今は今。昔は昔。
もう忘れたよ。
あぁ、なんだか、
もやもやする。
「タバコ…一本くれない?」
「あら、珍しい」
普段はまったく吸わない僕なのだけれど、なんだか今夜は吸いたい気分だった。
「はい」
咲々は自分が吸っていたのをそのまま僕に手渡した。口にあて、軽く吸い込む。
げほっ!ごほっ!
…むせた。
「はい、お子ちゃまはそこまで」
咲々が僕の指からタバコを掠めとった。それをうまそうに吸い込み、吐き出す。
よくこんなもん、吸えるよな。
「でもね、フユキ」
虚空に消えてゆく煙を見つめながら、咲々は言った。
「背伸びしないで、ありのままのあんたでぶつかればいいんだよ。できる範囲で、かまわないんだからさ」
タバコを消して、
「たとえお子ちゃまでもね」
咲々はニヤリと笑った。

それから約12時間後。
僕はマスターの死を知った。


              *

「日々井先生って、知ってる?」
そう言いながら、彼女は僕に、ホットコーヒーの缶を差し出した。
僕らは、とりあえずコーヒーを飲みながら話をすることにして、ベンチに座っていた。
時折吹く風が、容赦なく体温を奪っていく。僕は、プルタブを開けて、熱い液体を喉に流しこんだ。これでこの過酷な寒さにも、もう少しは耐えられるだろう。
彼女は、寒さも意に介していないかのように、涼しい顔をしていた。
「それって、日々井准教授のこと?」
ようやく震えが止まった唇で、僕は問い返す。彼女は黙って頷いた。
「知ってるよ、一応」
僕は言った。
日々井准教授の講義は、かなりの人気を誇っている。この大学で一番大きい講堂が、常に満席になるほどだ。中には、本来その講義を受けられない学生や、はたまた学校の部外者までも、こっそり聞きにきているという話だ。
まぁ、かく言う僕も、一度お邪魔させてもらったことがある。まったく理解できなかったけど。
専門は…人間構造学だったかな?いや、心理学?たしか、そんな感じだ。
「日々井准教授の講義は人気だからね…僕も一度聴きに行ったことがある」
ハルカも、学生に紛れて聞きに来たことがあるのだろうか?聞いてみると、
「私はないけど…友達が彼のこと好きでね。渡さなきゃいけないものがあるの」
「へぇ…何を?」
ファンレターとか?
問い掛けた僕に、ハルカは笑顔を向けて、
「ひ・み・つ」
そう言って立ち上がった。
「日々井先生がいるとこ、教えて欲しいんだ」
ちょっと何かを手渡す。
本当は、部外者は構内をうろついたりしちゃいけないんだけど…
そのくらいなら、問題ないだろう。
「おっけい」
僕も立ち上がる。
普段なら、こういうことに関わらない僕が自ら進んで案内を請け負った。
自分でも不思議だった。
雪でも…降るんじゃないか?
空を見上げる。厚い雲に覆われた空は、それ自体が雪の塊みたいだった。
「こっちだよ、着いて来て」
僕はハルカに先立って歩き始めた。僕に笑みを向ける前に、彼女が一瞬浮かべた愁いの表情の、その意味を計りながら。

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2010年10月19日 (火)

犬辞林

寒い【さむ・い】(天)気温が冷たく感じること。今日の朝起きたときの印象。(例)「ついに――くなってきたか」

秋【あき】(季)夏の次の季節。ご飯が美味しい。(例)「ようやく――って感じ」

風邪【かぜ】(病)せき、くしゃみ、鼻水、悪寒、発熱を伴う病気の総称。具合悪いときはとりあえず風邪。
――をひく【――をひく】風邪の症状が出ること。(例)「――をひかないように気をつけよう、季節の変わり目だし」

衣替え【ころも・がえ】(季)①タンス(クローゼット)の中身を夏服から冬服へ、あるいは冬服から夏服へと入れ替えること。またはそうする時期。②海老フライをやめて海老天にすること。(例)「そろそろ――しようか?」「じゃあ僕、海老天そば!」←→ミックスフライ

ぬくもり【―】(暖)①寒くなると欲しくなる暖かさ。②遊が11/19に披露するであろう曲名。(例)「その――ってどういう曲?」「スロウなバラードっぽい感じかな」
――の歌詞【――の・かし】(歌)以下記載。
新宿の街は今日も溢れる人に埋もれ
「ほんとう」を隠すように靴音が奏でる孤独

約束をしたらそれは裏切りの始まりと
僕たちはいつの間にか真実を拒んでいたね

怖かった、君のガラスの瞳が
僕の姿を映してくれるのか

君が差し出した右手、僕が差し出した左手
手のひらを伝うぬくもりは偽りじゃない、決してウソじゃない

新宿を通る道は溢れる車の列
「うそつき」なクラクションがネオンの合間に響く

怖かった、僕のアルミの言葉が
君の心を壊してしまうのが

君が差し出した手のひら、僕は何もかも委ねた
手のひらを伝うぬくもりは君のすべて語ってくれる

君が差し出した右手、僕が差し出した左手
手のひらを伝うぬくもりは偽りじゃない、決してウソじゃない

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2010年10月13日 (水)

春に降る雪⑥ 第二章その2

『エフ』には僕ともう一人バイトがいる。
「ウノエさん、おはようございます」
「おおおおはよ~、コウくん」
御仏間卯之恵さんだ。なんだか難しい名前だが、由緒ある家柄故の名前、ということらしい。
彼女は結構前から『エフ』で働いていたらしく、僕の先輩ということになる。聞いた話によると、一応年も上だ。
確かに、初めて会ったときは、まがうことなく年上に見えた。すらりと伸びる黒髪。端正な顔立ち。気品を感じさせるたたずまい。
…が、
『ここここんにちは!』
 …
ぶち壊しだ…。
気品もへったくれもない…。
はじめは緊張(?)しているせいで慌ててしまったのではないか、とも10パーセントほど思わなくもなかったが、その後も常時、卯之恵さんはこんな感じだった。
一度、
『ウノエさん、えっと、つかぬことなんですけど、何でいつもそんなに…焦ってるんですか?』
聞いてみたら、
『あ、あああ焦ってなんかないですよ!そそそそんな!』
…焦ってはいないらしい。
それ以来このことには触れないようにしている。この店には以下略。
住めば都とでも言うのか…まぁ、一週間もすれば不思議と慣れてしまうものだ。
口調はこんなだが、意外にも卯之恵さんはドジをやらかしたりはしない。その一挙一動は、むしろ落ち着き払っていると言っていいだろう。不思議な人だ。
まぁ、こんな店のバイトなんだから、普通の人がいるはずはないか。うん。僕くらいだ。ギブミー常識人。
『エフ』は昼間は2人、夜は1人で営業している。夜は、よっぽどのことがなければマスターがいるので、バイトはほぼ昼間のみだ。それでも毎月、並みのバイトの倍近くの給料が、僕の口座には振り込まれている。どこからそんなお金が発生しているのだろうか?
まぁ、この以下略。
今日は昼間マスターが休みらしく、僕と卯之恵さんの二人だった。
「ななな何だか、おおお久し振りですね、コウくん」
こんな口調でしゃべりながら、手はテキパキと無駄なく仕事をしているのだから恐れ入る。この人の脳はどうなっているんだろう?永遠の謎だ。
とりあえず、僕も着替えることにした。
こんな店(僕が言うのも難だが)でも、ランチの時間はそこそこに忙しい。なにせマスターも、卯之恵さんも、腕がいい。そこいらの料理店にはまず負けない味なのだ。
昼間のメニューは、日替のみ。仕入れが毎日違うからだ。マスターが知り合い筋から流してもらっているらしいのだが、日によって、季節によって様々なものが入ってくる。それをいかに使うか、料理人の腕が試される。その日の朝まで何が来るかはわからない。この店は、そんな綱渡り営業をしている。
「今日のメインは何が来ました?」
着替えてきた僕は、手を洗いながら尋ねてみる。
「きょ今日は、こここれよ」
卯之恵さんが指した発砲スチロールのどでかい箱の中には、活きのいい鯛が6匹ほど跳ねていた。
…採算とれてんのか、この店?
もちろん、聞かないことにしている。

本日の日替わり。ご飯、鯛の刺身、鯛の天ぷら、冷奴、おひたし、すまし汁(中骨入り)。
特に、天ぷらの揚げ加減は絶妙だ。卯之恵さん曰く、
「ききき『聞こえ』るんです、なんとなく、揚げるタイミングが」
ということらしい。職人は油の音の変化で揚げ加減を判断するというが、それを「なんとなく」でやってのける卯之恵さん。さすが。
ピークも過ぎて、お客さんの姿がなくなると、とりあえずランチタイムは終了。片付けも一段落すると、僕らも食事にありつける。
「いやぁ、最高っすね!ウノエさんの料理」
「あああありがとう。ここコウくんのお茶もおいしいよ」
インスタントなんだけどな、このお茶。
とりあえず僕は何も言わないことにする。知らぬが仏。まさに、その通り。
僕たちは賄いを食べ終えて、食後のお茶を啜っていた。切れっ端とはいえ、鯛の天ぷらにありつけたので、今日はラッキーと言えるだろう。いつもいつも、こういういい食材が来るとは限らない。ひどいときは、キャベツだけ、何てこともある。どうしっろっていうんだ!って感じだ。まぁ、稀だけどね。
「ところで、今日ってマスターの日だったんじゃ?」
「あ、えっと、きゅ急に用事ができちゃったらしくて…よよ夜は来れるみたい」
急な代打だったらしい。
「そうすか。…あれだったら、卯之恵さん、先あがっちゃってくださいよ。僕、マスター来るまで待ってますから」
「あ、ああありがとう、コウくん。じゃあ、お言葉にああ甘えちゃおかな」
何となく、唐突に裸の大将を思い出した。うーん、なぜだろう。
「じゃじゃあお先に失礼するね、まままたね、コウくん」
「はーい、お疲れ様です」
「かかか鍵、置いていくね」
卯之恵さんは、裏口から出て行った。僕は、カウンターの中で一人ぼんやり座っていることにする。
『なんで、辞めたの?』
ふと、昨日の言葉がよぎる。
なんで、だったかな。
『クビになったんだよ、な!』
クビ。
真吾は確かそう表現していた。
僕は、退学になったのか?
だが、そんな記憶はない。
記憶は…ない。
「ない、よな」
独り、呟く。
『覚えてない?』
 昨日の晴香の声が、甦る。
 記憶に…ない?
からん。
突然、扉が開く音がした。ボケッとしていた僕は、慌てて立ち上がる。
「!…いらっしゃいま…せ」
「やっほー」
顔の横で手を振りながら入ってきたのは、晴香だった。

「美味しい!」
「そう?よかった」
昼間の鯛は全部捌けてしまっていたので、常備している食材でオムライスを作ってみた。このくらいは朝飯前だ。もう夕方だけど。
「料理うまいんだね」
「まぁ、洋物はね」
そう、僕は和食が苦手なのだ。匙加減がまったくわからない。そのぶん、洋食的なメニューは得意だった。
「あたしはてんでダメだよぉ。フユキくん、そんなあたしのために毎朝味噌汁作ってくれない?」
へ?
い、いきなりプロポーズ?
「ええええっと、そそそそれは…」
思わず卯之恵さん化してしまった。
「コンソメスープでもいいよ」
晴香は冗談っぽく笑った。
なんだ、冗談かよ。
なんてね。
「昨日、大丈夫だった?」
「え?」
「途中、意識なかったでしょ」
あれは…
「…眠かったんだよ。ほら、高速催眠現象ってやつ」
言い訳してみた。
全然違うけど。
「心配したんだよー?急に倒れるから」
晴香は少し咎めるような口調で言った。
「ごめんごめん」
「ところでさ」
晴香はそこで一旦区切って、
「話したいことがあるんだ。何時にバイト終わる?」
まじめな顔で、言った。
「うーんと」
マスターが帰ってきたら、と言いかけたところで、僕は突然めまいに襲われた。視界が、歪む。

 冷たい何かが、頬に当たる感触。
雪が降っている。
ここは…屋上?
ひどく、寒い。
晴香がいる。
彼女は笑っている。
いや、泣いている?
手に何かを握っている。
黒く、鈍く、重い何かを。
ダメだ…思い出すな。
声が聞こえる。
僕は叫ぶ。
走り出す。
間に合え!
僕は。
晴香は。
ぱんっ

「フユキくん?フユキくん!」
ふと我に返ると、晴香が僕の肩を揺さぶっていた。
今のは…夢?
「大丈夫?」
「うん…」
心配そうに僕の目を覗き込む、晴香。
薄く、悲しみの色を帯びた瞳。
とても綺麗だと、
そう、思った。

「大丈夫大丈夫、ちょっと貧血気味でさ。ご飯食べてなかったからかな」
嘘だ。ご飯はさっき食べたばかりだし、今のは貧血なんかじゃない。
では、何だ?今のは。
自問しながらも、僕は平静を装ってみせた。
「でもフユキくん、顔色悪いよ?」
なおも心配そうな晴香。
「昨日もだったし…」
からん。
そこに、タイミングよく、
あるいは、悪く、
マスターが帰って来た。
「お疲れ、コウセツ…と、ハルカちゃん、いらっしゃい」
マスターは晴香に笑顔を向けた。
「こんにちは」
晴香も頷き返す。
僕は涼しい顔で、
「お疲れ様です」
言ってみたが、
「…おいコウセツ、お前顔色悪いぞ」
…バレバレだったか。
どうやら僕はポーカーには向いていないらしい。
「まだ、昨日の酒、残ってるんじゃないか?」
少し低い声で、マスターは言った。ぴりぴりとした空気が肌に伝わってくる。怒っているのだ。おそらくは、僕にではなく、ウィスキーを出した自分に。そんなマスターの優しさが、僕にはまぶしかった。
「もういいから、お前あがれ」
「すいません…」
「ハルカちゃん、またで悪いが、このマコウ中毒のツンツン頭気取りを頼んでいいかい?」
何だツンツン頭て。相変わらず意味がわからない。
晴香は、わかりました、と頷いた。

「送ってくよ」
晴香が言う。
「大丈夫、ありがとう」
僕は頷いてみせた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。こう見えても僕、意外と図太いんだから」
「うーん、そうは見えないけど」
…あ、そうですか。
「フユキくんは…」
そう言って晴香は目を逸した。
駅のホームで、僕と晴香は電車を待っていた。
僕らの帰る方向は別々だ。僕は千葉方面。晴香は新宿方面。だが、まだどちら方面の電車も来ない。
「ごめんね、あたしのせいで」
「そんなことないって」
どうして、晴香のせいなのだろう?
『なんで、辞めたの?』
この言葉を言ったのは確かに晴香だが、それが悪いわけではない。
悪いのは、僕自身。
答えを見つけるのを、拒絶している、僕自身。
黄色の電車がホームへと滑り込んで来た。僕が乗る電車だ。
ぷしゅぅ
電車のドアが開く。
「じゃあね、ハルカ」
僕は電車に乗った。昨日の僕も、こんな科白を吐いたんだろうか。覚えていない。
昨日のことも、一年前も。
ぷるるる…
ドアが閉ま――
――る直前に晴香が飛び乗ってきた。遅れてドアが閉まる。
「は、ハルカ?」
「…やっぱり心配だからさっ」
そう言って彼女は僕に微笑みかけた。

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2010年10月 7日 (木)

いきものがかり

みなさん、こんにツアーっ!

…すいません、パクりました。いきものがかりのみなさんごめんなさい。

m(_ _)m

ってこと(?)で、

今日はネタがな…いえいえ、せっかく来月歌わせていただきますので、オリジナルの歌詞を大航海時代!(ワンピースの作者様と僕は干支誕生日が同じ!)

まずはやっぱり、MySpaceでも絶賛(?)公開中でございます、「Voice」を!



Voice

ねぇ、この声が聴こえますか
  ねぇ、この歌が聴こえますか
空の、雲の、舞う鳥たちの、歌声は届いていますか

灰色に曇った空 鈍色に覆われた土
そっと芽を出した名もなき花を 知らず踏みつぶし歩く街

華やかさに目を眩ませ 忙しさに遊ばれる日々
飲み掛けのワイン 地に零して 夢にうつつを抜かす夜

生きる罪を忘れ 生きる意味を失くした
耳を澄ませば聴こえるはずなのに

ねぇ、この声が聴こえますか
ねぇ、この歌が聴こえますか
桜の、紅葉の、茂る草木の、歌声は届いていますか

触れるほど側にいるのに 伝わることのない心
ぶつかる袖には目もくれずに 無言ですれ違う人々

叫ぶ声を忘れ 祈る言葉失くした
心澄ませば伝わるはずなのに

ねぇ、この声が聴こえますか
ねぇ、この歌が聴こえますか
蒼い波間を揺れる生命の 歌声は届いていますか

ねぇ この叫びが聴こえませんか
ねぇ この涙が見えないですか
知らないをふりをしないで
目を背けたりしないで
たとえ小さな一歩でも
必ず届くから

ねぇ、この声が聴こえますか

ねぇ、この歌が聴こえますか

ねぇ、この声が聴こえますか
ねぇ、この歌が聴こえますか
私のあなたのこの地球の
歌声は届いていますか

私のあなたのこの地球の
歌声はいつも奏でられています



こちらでも聴けますよ~

君に届け!

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春に降る雪⑤ 第二章その1

「おきろー!朝だぞー!」
女の人の声で、僕は目を覚ました。
うう、あと5分…
と、言いかけて僕は飛び起きた。確かに、昨日は飲んだ。いつもより飲んだかもしれない。意識を失ったりもした。でも、大丈夫。大丈夫だ。きっと。記憶はある。ある…よね?確か、一回落ちて…気づいたら駅で…そう!晴香と逆方向の電車で帰ったではないか、たぶん。よかった…どうやら、人としての道は踏み外していないらしい。そう信じたい。
胸を撫で下ろしたところで、背筋に氷を落としたように疑問が走る。じゃあ、今の声は…?
僕はひとり暮らしだ。当然ながら自分で自分を起こせるはずがない。しかも女性の声だった。
首を回して、牢獄のように狭い部屋を見回してみる。間違いなく、僕の部屋だ。グリーンハイツ501号室。勿論、誰もいない。ちなみに、布団の中にも。
が、なぜかテーブルの上には、2人分の朝食が用意してあった。味噌汁の湯気からすると、作り立てだ。
ま、まさか…僕にはもうひとりの女の人格があって、昨日飲み過ぎたせいでそれが目覚めてしまったと言うのか…!
…と、冗談はさておき。
阿呆な妄想を振り払って、「さぁて」と頭のスイッチを入れる。立ち上がって、首を軽く左右に曲げる。
朝食は、純和風のものだった。ご飯、味噌汁、冷奴、あじのひらき、お新香。
もう一度、ぐるりと部屋を見渡す。この狭い部屋。いるとすれば…あそこか。
僕はクローゼットにそっと近づくと、扉を思いっきり開けた。
バン!
「あれ、よく一発でわかったね」
悪びれる様子もなく、クローゼットに隠れてお茶をすすっていたのは、幼馴染の嶋田咲々だった。

「それで、フユキ、呼び鈴鳴らしても返事ないから、ちょっと『マリーセレスト号事件』を演出してみました」
「それ、説明になってないし…」
ひとまず、僕と咲々は朝食を食べながら状況を整理していた。
「つまり、お前は連絡ひとつよこさず、俺の家を頼りに上京してきて、人の家にいつの間にかあがりこんで、勝手に朝飯を作って、あまつさえクローゼットに隠れて、俺を驚かそうとした、ってわけか、ササ」
「うーん、悪くない」
「いや、悪いだろ」
というか、どうやって入ったんだ?
「でも、鍵かかってなかったよ?」
やはり悪びれる様子もなく、しれっと咲々は言い放った。
幼馴染とは言え、咲々と会うのはかれこれ2、3年ぶりだ。が、変わったのはどうやら髪形だけらしい。相変わらず、変なやつだった。
咲々とは、物心ついたころからの付き合いだ。家が一件挟んで隣りだったこともあって、小さい頃からしょっちゅう遊んでいた。いわゆる、幼馴染みというやつ。小学生、中学生と年をおっていくにつれ、お約束のように、友達以上・恋人未満の関係なったこともある。
その話は、まぁいいや。
そんな宝石箱の輝きに似た思い出たちは、そっと胸の奥にしまっておいた方がいい。
汚れてしまわないように。
高校卒業と同時に僕は上京し、咲々とは初めて別々になった。それでも、お互い友達として、連絡は取り合っていた。いや…友達というより、兄妹、あるいは姉弟のような関係と言ったほうがいいかもしれない。
近すぎたが故に、遠すぎた距離。
「ねぇ…」
ご飯を食べながら、咲々はちらりと僕を見て、さらりと言った。
「また付き合わない?」
ぶほっ!
ごほっごほっ!
突然の咲々の言葉に、僕は盛大に味噌汁を噴き出し、おまけにむせた。
そ、そうくるか!
「いいでしょ?えっちさせてあげるからさぁ」
ごほぁっ!
ごほっぐほっ!
フユキはまだむせている!
「ほら、すごかったじゃん、あのときも…」
お、思い出を、
思い出を汚すなぁぁぁ!
「なんてね、戯言だけどね」
咲々は口元を緩ませた。
タチ、悪い。
「ササ、お前なぁ…」
「あ、でもほんとにやりたかったら、いいよ?」
って、いや、ダメだろ。
「どうせ彼女とかいないんでしょう?」
痛いところを突いてきた。
「…悪かったな」
「も~フユキってば、強がりながら生きてきたのよ、みたいな?」
「咲々、例の彼氏はどうしたんだよ」
埒があかないので、逆に話を振ってみた。
「あぁ、えっと、何人目の?」
知るか!
「全部で何人いるのか知らないけど、僕が知ってるのは、この間メールで写真送ってきた年上のやつだけだ」
「あ、そうか。あたしってば、歴代2人としか付き合ったことないんだっけ。忘れてた、忘れてた」
言いながら、てへ、とお約束の仕草をしやがる。
そして僕を指差して、
「ちなみに栄えある一人目とは君のことだから、大いに誇るがよいぞ。うむ、苦しゅうない」
…この勢いについて行けていた昔の自分にweb拍手を送りたい。切に思った。
「んで、あいつはねぇ…」
ようやく質問の答えが返ってきた。
「置いてきた」
置いてきた…てことは。
「なんだ、別れたわけじゃないんだ」
なぜか内心ホッとしている自分がいた。何に安心したのだろう?
「当たり前だよ、あいつの長い睫毛も、あの華奢で小さな手も、全部大好きなの。どこにだってあいつ以上の人なんていないよ」
いきなり、のろけられた。まさかの展開に、フユキは驚きを隠せない!
「え、えーと、じゃあなんで置いてきたんだ?」
「大丈夫、ちゃんとお互い腕に×印つけておいたから」
どんだけバカップルだ。ていうか、それは仲間の証だろうが。何が大丈夫なんだ?
「そんなわけで、不束者ですが、末永くよろしくお願いします」
咲々は三つ指をついた。どこで覚えたんだそんな技。
ていうか、やっぱり居候する気か。
そんな気は、そこはかとなくしてたんだけど。
「…まぁ、住むとこ見つかるまでだったら別にいいけど」
僕の言葉に、咲々はニヤリと効果音が出るような笑みを浮かべた。
「ふふふ、かかったなぁ!あいつの両親に挨拶しに行ったときも、これでイチコロだったのだよ。まさに親父の一番長い日!」
もはや、何言っているのかよくわかんねぇ。
というか、すでにそこまで進展していたことに、僕は驚いた。
結婚…するのか。あの咲々が。
「あ、それともえっちに惹かれた?」
って、んなわけあるか!
ツッコミ回路、フル稼働。
昨日といい、今日といい…どうやら、僕はツッコミの神様に見初められているらしい。
あぁ、ギブミー常識人。
「大丈夫。4月から、名もない出版社への就職が決まってるからさ。それまでよろしく☆」
咲々はウインクしてみせた。どういう意味だ。
今日は3月6日。まぁ、約一ヶ月ってところか。
「仕事とか、どうすんだよ」
「うーん、短期間のバイト探すのもめんどいし、貯金食い潰しながらダラダラと新婚生活の予行練習でもするよ。『あなた、おかえりなさい!パンにする?ご飯にする?それとも、う・ど・ん?』」
微妙な選択肢だった。
「ちなみに、4月にはあいつも上京してくるからさ。よろしく」
よろしくって…まさか2人して居候はないよな。ないことを願う。
「あ、そう…ごちそうさま」
僕は、ご飯を食べ終えて時計を見る。時刻は8時半を回っていた。
そろそろいくか。
僕は準備を始めた。とは言っても、コンタクト入れて、着替えるだけだけど。
「あれ、フユキ、マジで恋する五秒前?」
懐かしいな、おい。
「いや、これからバイトだから」
あとよろしく、とだけ言い残して、僕は家を出た。

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