2011年7月 6日 (水)

春に降る雪26 最終章その4



「ヒノ・フユキくんだね?私の名は、ニノキ・コウセツ」
走るリムジンの、だだっ広い後部座席で、お腹を押さえてうめく僕に、弐ノ木は名乗った。
ニノキ…?
ってことは、まさか…
「娘が…ハルカが、世話になっているようだな」
父親か…!
「今のは、まぁ、親子の軽いコミュニケーションだと思ってくれ。何せ、君は将来息子になるのかも知れない存在だからな…ただ、娘を奪われたのが、ちょっと悔しかっただけだ」
腹いせかよ!
ていうか、息子って…
「僕は…」
何とか、声を絞り出す。
「どこへ、連れて行かれるんですか?」
「そうだな。あの世まで連れて行きたいのは、やまやまなんだが…」
やまやまなのか。
「そんなことしたら、娘に何をされるかわからん」
とりあえず、あの世に連れて行かれることはないらしい。内心、ものすごくほっとする。
というか、ここ数日、命の危機にさらされすぎだろ、僕。
「さて…本題に入ろうか」
本題…?
「君に、今日ここに来てもらったのは、他でもない。我々の…弐ノ木家のことを、君にはよく知ってもらおうと思ったまでだ。君は娘が選んだ男、だからな」
「弐ノ木家の…ことですか」
確かに、僕は何も知らない。せいぜい、巨大財閥だということくらいしか。
「弐ノ木家はもともと…殺し屋を営んでいた」
コロシヤ?
どこぞやのアトラクションばりにいきなり急加速した話題に、僕は完全に乗り遅れた形となった。
振り落とされた、のほうが正しいかも。
とりあえず、ありったけのエネルギーで、止まりかけた思考を回転させる。
えっと、コロシヤって…つまりは、殺し屋?
殺し屋って、商売なのか?
『殺し屋だよ』
鬼石の言葉が、頭をよぎる。
あれって…ホントウだったの?
「えっと、ちょっと、待ってください。今、頭の整理を…」
「もともとは、日の当たらない裏家業だったんだ。それに嫌気がさして、でも家を出るにも出られずにいたのが…私の妻だった」
待つ気ゼロかよ。
仕方ないので、僕は必死に話に喰らいつく。
「ってことは、その、殺し屋の家に生まれたのが…」
晴香の、母親。
どんな人なんだろう…
会ってみたいような、会ってみたくないような。
話は、続く。
「私は、彼女と、共に闘う決意をした。裏家業でも、表家業でもない、新たに統一された、弐ノ木グループを作るために。…いろいろあったが、私達はそれを成し遂げた。今では弐ノ木は、表向きは財閥のひとつであり、裏では政府認定の掃除屋になった」
政府認定の…掃除屋?
何だかこの話、ものすごく重要な部分を端折っているような気がする。
おかげで全然話についていけない。
「掃除屋って…」
「社会に必要ない、とされた者を速やかに始末する。平たく言えば、殺し屋と同じだがな。ただ、依頼者と、扱いが違う。殺し屋は違法だが、掃除屋は認可される」
掃除屋…。
政府に認められた、殺し屋。
そんなものが、あったなんて…
「CP9みたいなものか、と思ったかもしれないが、違う。諜報はしないからな」
思ってねぇし。
何気に漫画好きなのか、この人?
咲々と気が合うかもしれない。
「表はともかく、裏家業を確実にこなすには、それなりの実力が伴わないといけない…オニイシには、もう会ったのか?」
「…はい」
最悪の出会い方だったけど。
僕、むしろターゲットだったし。
初対面で、殺されかけたし。
「会いましたけど」
「彼女から、『能力』の話は聞いたか?」
『能力』?
そんな話は聞いてな…
…って、彼女?
ま、まさか…
「なんだ、その顔は?あぁ、オニイシを男だと思っていたのか」
ってことは…
お、女だったのか!
だって、『俺』って言ってたし…
あの身長だし…
まぁ、でも確かに声は高かったな、男にしては。
「まさか…」
「まぁ、無理もない。あいつは…オニイシは、…娘のことを好いているしな」
すいて、いる?
えーと、
「それって、どういう…」
「つまり、娘の…ハルカのことを、愛しているのだ」

れ、恋愛関係?
相変わらず、急転直下な話だ。ついて行こうとすると、振り落とされる。
「えと、つまり…」
僕が何か言おうとしたのを遮って、弐ノ木は鬼石について語り始めた。
「オニイシは、橋の下にいた子供だった」
橋の…下?
「それって…捨て子だった、ってことですか?」
弐ノ木はかぶりを振る。
「今でも、あいつの本当の親はわからない。…あいつは何も言わないが、おそらくは虐待を受けていたのだろう。だが、あいつは何らかの方法で家から逃げ出した。ひたすらに、ひたすらに遠くへ歩いたのだろう。見知らぬ町の河原についたところで、あいつは座り込んだ。5歳の体力的には、限界だったのだろうな」
「5歳…」
そんな歳で、そんな体験を、か。
それが、現実。
それが、この世界。
生まれたばかりの、何の功も罪もない、赤ん坊だって、
救いようのないほど屈折した、犯罪者だって、
欲に埋もれて、何かを見失った指導者だって、
真実から目を背けて、流されるだけの人々だって、
自らの子供を虐待する、親だって、
その理不尽を一身に負う、子供だって。
等しく護られ、等しく叩かれる。
等しく生かされ、等しく殺される。
世界は、平等だ。
残酷なまでに。
「あいつは、疲れ果てていた。世界に、絶望しきっていた。生きているのか、死んでいるのか自分でもよくわからなかった。あいつは、橋の下で『眠り』についた」
「…」
「偶然だった。あの川の側に、私達家族が遊びに行ったのも、ハルカが河原まで降りたのも、そして、偶然に眠っていたオニイシを発見したのも」
偶然、か。
あるべくして、ある偶然。
「だが、発見したときすでに、あいつには脈も、呼吸も、なかった。当然だ。なぜなら、あいつが『眠り』についてから3週間が経過していたからな」
「え、でも」
彼女は…鬼石は生きていた。
確かに、生きていた。
むしろ、殺されかけた。
「どういう…ことですか?」
「ハルカが、彼女を『眠り』から覚ました。それ以来、ハルカは彼女にとってのプリンセスになった」
眠り姫、ってことか?
立場逆だけど。
「…って、脈も、呼吸もなかったのに、助かったんですか?」
「ともかく、『能力』については聞いていないな」
突然、話が戻った。
なんだか、混乱する。
「はい…何も」
僕は素直に答えた。
そうか、と言って、弐ノ木は説明を始めた。
「人には、何らかの『特長』なり、『欠点』なり、『才覚』なり、そういった『何か』がある。例えば、計算が得意な者。腕っ節が強い者。誰とでも打ち解けられる者。あるいは、欠点で言えば、方向音痴な者…そういった『何か』を突き詰めて伸ばした結果が『能力』だ」
「は、はぁ」
いまいち、何を言いたいのかが、わからない。
「『才覚』は持っていても、それを自在にコントロールし、実力を発揮できる、つまり、『能力』として昇華できる者は少ない。弐ノ木家では、標的よりも一歩先んじるために、古くから『能力』を磨いてきた。例えば、オニイシ。あの娘は、人を『眠らせ』ることができる」
眠ら…せる?
「『停止させ』る、と言ったほうがいいかもしれんな」
停止…?
ってことは…
「君も、実際に見ただろう?」
実際に、見た?
…まさか!
マスターが、真吾が、咲々が、生きていた理由は。
死んでいたのではなく、『停止』していたから?
「じゃあ、さっきの話は…」
彼女自身が、自分を『眠ら』せていた?
脈も、呼吸も『停止』させて、
でも、生きていた?
「そんなの…」
「信じられんのも、無理はない」
僕の言葉を遮るように、弐ノ木は続ける。 「だが、それでしか説明がつかないのも、また事実。フユキ君、君はコールドスリープというものを知っているか?冷凍するわけではないが、鬼石は相手を強制的に、その状態に陥らせることができる。無論、『解凍』できるのも彼女だけだ」
信じろと言っても、無理な話だ。
「薬、じゃないんですか?」
「ハルカはそう言ったのだろうが、それは違う。君も知っているだろう?呼吸も、心臓も停止したままヒトを生かしておける薬など、現代には存在しない」
「そりゃ、そうですけど…」
『能力』なんて話のほうが、よっぽど現実離れしている。
「ハルカも、信じてもらえないと思って話さなかったんだろうな…いや、話しているときに、君の友人がいたからか。こんな話を聞いたら、さらなる厄介事に彼らが巻き込まれるのは間違いない。ただでさえ今回巻き込んだのに、それは忍びない…そう考えたんだろう。さすがは私の娘だ。思いやりに溢れている」
親バカな上に、自画自賛かよ。
「『能力』、ですか…」
これは、夢?それとも、現実?
どちらにしても、今まで僕が生きてきた「現実」の世界からは、かけ離れていることは確かだった。
「『能力』は誰でも初めから使えるわけではない。特殊な訓練を通じて、開花してゆくものだ。だが稀に、訓練でなく、自らの力で『能力』を開花させる者もいる…フユキ君、君のようにな」
「え」
僕の、ように?
「ちょ…どういうことですか?僕には、そんな、突拍子もない『能力』なんて、ないですよ。いたって平々凡々な、ただの一般人です。誰かを『眠ら』せたりなんて、できないですし」
「そうか?ただの一般人に、鬼石を、ウチの首席掃除人(トップスイーパー)を、歴代最強の超新星(ホープ)と謳われた彼女を、万が一にも退けることができるとでも?」
「…!」
トップ・スイーパー。
ってことは、あいつが『掃除屋』最強、ってことか?
「それは…」
あいつが、一瞬油断したから、その隙を…
油断?なぜ、彼女は油断したんだ?
『おやすみ、フユキちゃん』
確か、その言葉の直後だった。
あろうことか、彼女は引き金を引くより先に、僕への拘束を緩めた。
つまり、引き金を引く前に、すでに勝利した確信があった…?
本当に、彼女は僕を殺すつもりだったのか?
いや、待て。彼女が持っていたのは…弾が入っていない空の銃。
僕を『眠らせ』ることが、彼女の目的だったとすれば。
彼女の『能力』の引き金が、『おやすみ』の言葉だったとすれば。
僕の『能力』は…
「一年前、娘は親友を失った。津岡あおい…聞き覚えはあるか?」
逡巡する僕を、弐ノ木の言葉が呼び戻す。
再び、ジェットコースターが降下地点に差しかかったらしい。
えっと、津岡…あおい?
どこかで聞いたような…
『それが…お前の望みなんだな、あおい』
彼の…日々井准教授の言葉が甦る。
「自殺だった。彼女はG大学の新しい研究棟で、手首を切って死んでいるのが発見された。おそらくは理事長の圧力だろう、あまり報道はされなかったようだ。学内でも、情報は公開されなかったらしい」
僕のときと、同じ…か。
おそらくは、理事長の命で揉み消されたのだろう。
あの秘書を思い出す。
「その当時、秘密裏に彼女と交際があったのが、日々井落陽だった」
日々井が?
その事件にも、関わっていた?
リンクしていく、事件。
「津岡も完全に秘密にしていたようだが、彼女が自殺するはずがない、と信じた娘は、独自の捜査で日々井にたどり着いたらしい。そして、私にも内緒で拳銃を持ち出し、G大学へと乗り込んで行った、というわけだ」
それが、1年前。
あの日の出来事。
「『能力』の訓練はさせておいたが、如何せん、掃除の現場には関わらせなかったのが災いした。娘は経験不足だった。日々井も、『能力』を自らで開花させた希少な人物だとは思っていなかったようだ」
日々井も、『能力』を…?
「娘は、人の心を『読む』ことができる。目を合わせることでな。娘は、その『能力』で真実を探ろうとした。場合によっては、復讐を果たそうとした。だが、娘が真実を知ったとき、すでに勝敗は決まっていた」
「…」
「日々井の『能力』は、目を見た相手を『死なせ』る。彼は、人を強制的に自殺させることができた」
『さよなら…フユキくん』
笑顔で、自らのこめかみに拳銃を向ける、晴香。
まるで意志を持ったような、その右腕。
そういうこと…だったのか。
「あとは、君の知っての通りだ。…君の『能力』によって、娘は助かった」
僕の、『能力』によって?
「そんな…僕は」
僕の言葉を無視して、弐ノ木は再び話を飛ばす。
「君の経歴も、いろいろ調べさせてもらたよ。君は、上京する前にご両親を亡くしているね?そして、その現実から逃げるように、東京へ来た。おそらく、君の『能力』が開花したきっかけは、それだろう」
「そんな…」
ヘッドライト。雨。ブレーキ。
僕が殺した、両親。
そんな現実を、僕は。
認めたく、なかった。
「君の『能力』は、おそらく『拒絶』。相手の『能力』による干渉を『拒絶』する」
僕の心を『読も』うと目を合わせて、何か言いそうになった晴香。
僕を『死なせ』ようと目を合わせて、目を逸らした日々井。
僕を『眠らせ』ようと『おやすみ』と言って、力を緩めた鬼石。
そのすべてを、知らず『拒絶』していた、僕。
そして。
「普段は受身の『能力』だが、君が本気になれば、能動的にも使えるのだろう。だから娘は生きていた。『能力』によって『死んで』しまうことを『拒絶』された」
僕が…
晴香を救った?
救えなかったはずの、晴香を?
「その点では、君に礼を言わなければいけないな」
散々、蹴ったくせに…
まだ痛いんですけど。
…とは、さすがに言いたくても言えなかったので、
「僕は…でも、そんなの知りもしませんでしたし、コントロールなんて、とてもじゃないけど、できていません…だから僕には」
「『能力』などない、と?」
弐ノ木が、先回りして言う。
「そう…です」
「それは違う。現に、君は『能力』を使っている。そうだろ?」
「それは…」
「君は『能力』をコントロールしている。そうでなくては、あのとき娘も、もしかしたら君も、死んでいた。ただし、無意識で、だ。あるいは暴走していた、とも言えるな」
暴走…。
そう言えば、あのときの記憶。
その前後は思い出したが、晴香の銃が火を噴いてから、数分間、
どうしても、思い出せない部分が、ある。
そのとき、僕は無意識だった?
無意識で、『能力』をコントロールしていた?
「日々井は…准教授はどうなったんですか」
会話が途切れたので、気になっていたことを尋ねてみた。
僕が引いた引き金は、果たして彼の命を奪ったのか…?
「日々井か…まだ、どこかで生きてはいるだろう」
生きて、いるのか。
安心したような、その逆のような、複雑な心境。
「私は、奴を許すつもりはない。経緯はどうあれ、娘を殺しかけた男だからな…だが、意識を取り戻した娘に言われたのだ。『彼に報復はしないで。約束して』、と」
晴香が?
一体、なぜ?
「理由はわからんが、娘が『読ん』だ真実が、思ったものとは違ったんだろうな」
「…」
「それで懲りたかと思ったら、また今回、君のために、勝手にうちのスタッフを使って、騒ぎを起こして…さすがの私も堪忍袋の緒が切れた」
え?
「それで、こうして君を呼んだわけだが…」
えーと、
僕が、責任取らされるのかな?
「では、本題に入ろうか…」
えーと、今までのは、本題ではなかったんですか?
急に、車がどこを走っているのかが気になってくる。
まさか、東京湾?
あるいは、相模湖?
冷たい汗が、こめかみを伝っていく。
終わったか、ついに。
ごくり、と唾を飲み込む音が、自分にもはっきりと聞こえた。
「フユキ」
「は、はい」
「ハルカをよろしく頼むぞ」

あれ?
「あいつは、勘当だ」
か、勘当?
「あのビル以外は、何も与えない。力も貸さない。自分で、自分の道を一から築いていくのだ。ハルカにはそう言ってある」
縁を切る、ということか?
「そうしなければ、私が抱える部下たちに示しがつかん。だから、フユキ。君には、側であの娘を支えて欲しい」
それが、本題?
「頼む」
深々と頭を下げる、弐ノ木。
表社会も、裏社会をも統括しているグループの主が、頭を下げている。
断れるわけが、ない。
断るつもりも、ない。
「ハルカが…この事件をでっち上げた理由って、なんだと思います?」
答える代わりに、僕は尋ねてみた。
弐ノ木は、頭を上げる。
「いろいろあるだろうが、一番の動機はおそらく…君に思い出して欲しかったのだろうな」
「僕も、そうだと思います。それだけのために、たったそれだけのために、そんな小さなことだけのために、そんな些細なことだけのために、彼女の周りも、僕の周りも、すべて巻き込んで、誰かを敵に回すような、親から縁を切られるようなことまで、平気でする。正気の沙汰じゃないですよ。普通じゃない。平凡じゃない。明らかに、異常です。正直、僕の手に余る存在です」
「…」
「…でも」
でも。
それでも、僕は。
「それでも…僕は、許されるのであれば、彼女の側にいたい。いや、例え許されなくとも。あの日、彼女に出会わなければ、僕はきっと、何かを決意することもなく、理解することもなく、闘うこともなく、逃げることすらできなかった。想うこともなく、願うこともなく、嘆くこともなく、悔やむことすら、できなかった。僕は、彼女に振り回され、彼女を振り回していたい。彼女の笑顔を、涙を、側で見ていたい。例え、それが茨の道であったとしても。例え、貴方を敵に回しても、です」
「…そうか」
「僕は、ハルカのことが―」
キィッ。
浮かされたように吐いた科白と同時に、車が止まった。助手席の男が降り、後部座席の左のドアを開く。
改めてよく見ると、僕を犯人扱いした刑事その人だった。
「…」
黒のスーツに身を固めた彼は、完全に無言で仕事をこなしている。
…役者になった方がいいんじゃないか?
「返事を聞けてよかった…それでは、さよならだ、フユキ。次に会うときは、敵同士でないことを祈っているよ」
弐ノ木が僕に軽く頷いてみせた。出て行け、の合図だろう。
開けられたドアから出て、僕は一度振り向いた。
「ニノキ・コウセツさん…貴方はもしかして、全て『見て』たんですか?」
弐ノ木は何も答えず、にやりと笑った。
刑事役だった男が無言でドアを閉めた。
「…その節は、どうも」
一応挨拶しておいたが、彼は一瞥だけくれて助手席に乗り込む。すぐさま車はどこかへと走り去っていった。
さぁて…
空は快晴。少し肌寒い空気が、頬を撫でる。
また、雪が降ってきたりしてね。
僕は、転がっているリンゴを拾うと、目の前の古いビルに足を向けた。


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2011年6月16日 (木)

春に降る雪25 最終章その3



次の日。
買い物から帰ってきた僕は、真っ先にその異変に気付いた。
リムジン…?
ビルの真ん前に、スモークガラスの真っ黒なリムジンが1台止まっている。明らかに、怪しい。
まさか、真っ赤なスーツのお姉さんが出てきて、しこたま蹴られるなんてオチは、ないよな…
残念ながらか、幸運ながらか、僕の予想とは裏腹に、車から出てきたのは、壮年の男性だった。黒いスーツに、サングラス。オールバックの髪は、鬼石よりもやや黒っぽい銀髪。50代くらいだろうか。ロマンスグレー、とでもいうのか。チョイ悪オヤジとでもいうのか。だがしかし、明らかに、カタギではない。
車から出てきた彼は、つかつかと僕の方に歩み寄ってきた。僕の進路を塞ぐ形で、目の前に立つ。
えっと…
「な」
んですか、と言おうとした瞬間、思いっきり鳩尾に蹴りを喰らった。思わず倒れる僕。そこにしこたま蹴りを入れるオヤジ。チョイ悪どころの騒ぎではない。激悪だ。
がすっ、どすっ、ばしっ。
「ぐはっ…」
攻撃が止んでも、僕は動けなかった。
何で、いきなり…
目の前を、さっき買ったリンゴが転がってゆく。
車から、2人ほど、若い男が出てきた。これも、スーツにサングラス。
「…乗せろ」
ドスの効いた声でオヤジが言うと、二人は僕を担いで車内に押し込んだ。
く、くそぉ…
抵抗する力もなく、僕はリムジンの後部座席に転がった。
「よし、出せ」
オヤジが後部座席に乗り込むと、どこへともなく車は走り出した。


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2011年5月14日 (土)

春に降る雪24 最終章その2


6階は、他のフロアに比べると、3倍くらいの広さがあった。ただ、ところ狭しと並べられたダンボール箱の山と、ごちゃごちゃになったワークデスク、雑然としたファイルや資料の棚に埋もれて、今は歩くのもやっとの状況。
目下の「仕事」はここの整理だった。もう3日目だというのに、ちっとも変わっていないように見える。先は長い。
『お父さんとお母さんが結婚する前、ここに事務所を構えてたらしいんだ。二人の思い出の場所だったらしいんだけど…だからあたしも、またここで思い出を作りたいんだ。でも、まずは片付けないと、ね…使えないし』
というわけで、僕らは日がな一日このフロアを整理しようと試みている。この進み具合からすると、1年くらいかかるんじゃないか?

ちなみに、僕は『エフ』でのバイトを辞めた。晴香の『マスターにも了解をとってある』とは、そのことだったらしい。
『すいません、何か急で…』
あの日、荷物をまとめに家に帰る途中、僕は『エフ』に寄った。夜なのに、珍しくマスターも卯之恵さんもいた。
『ココココウくん、お疲れ様!』
さして驚いた風もなく、卯之恵さんは言った。マスターから聞いていたのだろう。なぜか餞別としてリポビタンDをくれた。
『あ、ありがとうございます』
『ががががんばったね』
『…はい』
結局、ひとり蚊帳の外だった卯之恵さん。
でもなぜか、すべてを理解しているような気がするのは、気のせいだろうか?
『気にすんな。これはお前の物語だ』
マスターも笑って、餞別にユンケルをくれた。なぜか。
『ど、どうも』
真吾や咲々と同様に、マスターもいたって元気だった。一時的とは言え、脈が止まっていたなんて思えないくらい。
『よかったじゃねぇか、居場所が見つかって』
『…はい』
マスターは、笑った。僕も、笑った。
『ご迷惑、おかけしました』
『お前が謝るこたぁねぇ。好きでやったことだ』
『…好きで?』
『頼まれたんだよ、ハルカちゃんに』
『じゃあ…』
『あぁ、知ってた。すべて、な』
『…』
マスターは、全部知ってて、
僕の、ために?
胸が、じんと熱くなった。
あぁ、何でだろ。視界が滲む。
『今日は時間あるのか?飲んでいけよ』
『じゃあ…弱いの、もらえますか?』

しばらくしたら、図ったかのように、真吾がやって来た。
『お、フユキじゃん!飲んでる?』
『まぁね』
僕がちびちび飲んでいたのは、水のお湯割り、という、よくわからないものだった。
確かに、弱いけどさ。
弱い、というか、アルコール入ってないし。
ていうか、ぬるいし。
『いいね!じゃあ、マスター、俺にも同じ…じゃないやつ!』
同じじゃないのか。
マスターは黙って「いつもの」をロックグラスに注ぐ。ロックグラスなのだが、注がれるのはよく冷えた日本酒だった。
『シンゴも…ごめん。巻き込んじゃって』
『気にすんなよ!だって、俺たち無二の親友だろ!フレンズ!』
『シンゴ…』
どうしてだろう。
どうして、みんなこんななんだ。
僕にはもったいないくらいに、
僕自身がひどく矮小に感じるくらいに、
かけがえのない、立派な人たち。
素晴らしき、友人たち。
『…ありがとう』
『よっし!じゃあ、フユキの門出を祝って!チアー!』
そこは英語かよ。
『乾杯』
『かかかか乾杯!』
『ありがとう、ございます』
僕らは、軽くグラスをぶつけ合った。

家に帰ると、咲々がテレビを見ていた。すでに買ってきていたらしい。
『あれ、フユキ?何しにきたの?』
すでに、完全に自分の家にしてやがる。
まぁ、引っ越すつもりだけどさぁ。
譲ろうとは思ってたけどさぁ。
『…荷物取りにきたんだよ』
『荷物?荷物なんて何かある?あ、ケータイの充電器か』
…他は全部もらう気か。
まぁ、いいけど。
ケータイの充電器を引っつかんで、僕は踵を返した。咲々はテレビの前から微動だにしない。見送りとかする気はないようだ。
ドアを開けて、僕は振り返らずに、言った。
『ササ…』
『何?』
『ありがとう』
『…フユキ』
『何?』
『さよなら』
ほんのり、胸が、熱いような、苦しいような、そんな感覚に囚われる。
夢が過ぎ去るような、痛み。
その余韻を感じながら、僕は、ドアを閉じ…
『あ、そうそう』
…せっかくいい感じだったのに。
ぶち壊しかよ。
『あのさ、フユキ』
『…何?』
『忘れないで。あたしは、いつまでもあんたの味方だから』
『…』
僕は、黙って、ドアを閉じた。
溢れる涙を、見られないように。

それから、ここに来て、もう3日。晴香に与えられた仕事がこれ、6階だった。
『生活費は心配しなくていいよ。ここが使えるようになったら、じゃんじゃん稼ぐからね』
と、昨日晴香は言っていた。どうやら、何か高額請負の事務所を開くらしい。だが、この散らかりよう。明らかにすぐには終わりそうもない。
4階とか、使ったほうが早いんじゃないのか?
言ってみたが、無視された。
「さぁて…」
おとなしく作業に入ることにする。とりあえず、僕は手前からファイルを整理していくことにした。晴香は奥の方でなにやらごそごそやっているようだ。
すると、突然晴香が声を上げた。
「ちょっと、見てみてよフユキくん!昔のアルバムだ!」
「…」
そんなことやってるから、進まないんだよ…
「うわ、若い!…フユキくん!早くぅ」
晴香は妙にはしゃいでいる。
「はいはい…」
1年で、終わる…といいな。


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2011年4月14日 (木)

春に降る雪22 第六章


かちん!
…え?
僕が構えた銃から、弾は出なかった。
かちん!かちん!かちん!
何度引き金を引いても、変わらない。
弾切れ?
「ひとつ、教えてあげる」
晴香が素早く立ち上がって、僕から銃をひったくった。
「これを引かないと」
そういいながら、彼女はスライドを引く。
「弾は出ないよ」
そのまま、僕に銃口を向けた。
ぱんっ
思わず、目を閉じる。

死んで、ない?
目を開けると、晴香が笑い転げていた。
「あははっ、ウソだよ、ウ・ソ!く・う・ほ・う!本物の銃なわけ、ないじゃん!」
「へ?」
だって、昨日使ったときには、弾はちゃんと…
…いや、そう言えば弾が出たかどうか、僕は見ていない。
ってことは、昨日、銀髪は、
僕を殺すつもりでは、なかった?
「まったく、フユキくんはホント面白いよね!」
「な…」
「あははっ、…みんな、もういいよ!」
み、みんな?
晴香の声と共に、クローゼットの扉が開いた。
「なっ…!」
僕は絶句する。
そこから出てきたのは、
真吾、咲々、そしてあの銀髪だった。
「まったく、せっかく濡れ場かと思って期待してたのに、ぶち壊しじゃん。読者が怒るよ?…金返せ!って」
なんだ、読者て。咲々の言葉に、思わずツッコむ。
…って悠長にツッコんでる場合やない!…じゃなかった、場合じゃない!
し、死んだはずじゃ?
確かに、冷たくなってたじゃないか?
脈も、止まってたぞ?
これは…夢?
僕は…死んだのか?
疑問の渦が、頭の中を埋め尽くしている。
「どした、フユキ?幽霊でも見たような顔して」
真吾が言う。
いや、だって、キミタチは…
「バッカだなぁ、フユキは。生き返ったに決まってんじゃん。見てないの?黄泉帰り」
いや、それはフィクションだ。
「ちなみに、マスターにはお店に戻ってもらってるから」
戸惑いを隠そうともしない僕を見て、晴香が言った。
…ん?待てよ?
「ずっと、そこにいたのか?」
「そだよ」
「決まってんじゃねぇか」
二人はそっけない。銀髪に至っては、完全に無視。
ってことは…
「全部…聞いてたの?」
咲々は笑った。
真吾も笑った。
銀髪は笑わない。
僕は…笑えなかった。
「いやぁ、フユキちゃん。あたしのことそう思っててくれたんだねぇ。姉さんは嬉しいよ。え、なになに?愛してくれちゃってんの?いやぁ、照れちゃうなぁ、お姉さん」
や、やめろぉぉ!
て、撤回だ、撤回!
「そうか…フユキ、俺のことを唯一無二の親友だと思っていてくれたのか…くぅ!泣かせるぜ!男の友情は不滅だ!たとえうるさいとか、理解できないとか、言われても、不滅なんだ!」
ぐ…
地味に、気にしてる?もしかして。
「…熱い演説、ご苦労様でした、と」
なぜか銀髪がシメる。
なんか、腹立つんだけど。
「うーんと、じゃあ最初から説明しよっか」
改めて、晴香が言った。

「実はね、全部狂言だったの」
あっさりと、ごくごくあっさりと、晴香は言い放った。
き、狂言?
「そんな…でも、間違いなく脈は」
止まってたぞ?
「うーんとね。話すと長くなるから端折っちゃうけど、薬。そういうお薬があるの。あ、もちろん一般には流通してないけどね」
く、薬?
しかも、一般には流通してない?
そんなものが、存在するのか?
不意に咲々が手を上げた。
「はい、ササちゃん」
先生よろしく、晴香が指名する。
「えーと、ハルちゃんは何でそんな存在すらアヤしいお薬を手に入れられるの?もしかして、黒ずくめの男の組織のメンバーとか?」
「なんだそれ…」
僕がツッコもうとすると、
「当たらずとも遠からず、かな」
晴香が言った。
ってことは、近いのかよ。
「改めて自己紹介させてもらうと、あたしの名前は、弐ノ木晴香。弐ノ木グループって、知ってるかな?」
「ニノキって、あの弐ノ木?超巨大財閥の大元締めじゃんよ!ジーザス!」
真吾は驚いていたが、僕にはさっぱりだった。
「僕には、わかんないんだけど…そんな有名なの?」
「え、お前、知らねぇの!泣く子も黙る弐ノ木財閥だぜ!」
「確か、20年前…あたしたちがちっちゃい頃に、いくつかの財閥が統一されてできたんだっけ?」
意外に咲々も詳しかった。
ちょっと疎外感。
「うん、その弐ノ木グループ」
晴香は頷いた。
「だから、たいていの物は手に入っちゃうんだよね。例えば、表社会には出せない効果を持った薬、とかさ。簡単に言うと、そうゆうこと」
晴香は、笑って言う。
現実離れした、現実を。
なんてオチだ。
こんなの、誰も認めやしない。
だが、こうして彼女が拳銃という物を、当たり前のように所持している事実。
真吾や咲々が、こうして生きていた事実。
銀髪の、並の人間では有り得ない身体能力。
そのすべてが、彼女の言うことが正しいと主張している。
僕の中の「当たり前の世界」が、当たり前なんかではないと証明している。
「…ってわけ。あとはフユキくんが言った通りだよ。あたしが頼んで、オニイちゃんにみんなを『殺しに』行ってもらったってわけ。」
そう言って晴香が銀髪を目で指し示すと、
「俺を、『オニイちゃん』って呼ぶの、いい加減やめてくんないかな、お嬢」
ここまで黙っていた銀髪が、初めて口を開いた。
き、兄妹だったのか?
「それじゃあ、オニイちゃんも『お嬢』っていうのやめてくれない?」
ニコニコしながら、晴香は一歩も引かない。
「あ、紹介がまだだったっけ。鬼に石でオニイシ。オニイシ・マコトちゃんだよ。オニイちゃんって呼んであげて」
さらには、こともあろうに銀髪を「ちゃん」付けで紹介するし。
ていうか、兄貴ってわけじゃないのかよ。
「呼んだら、殺すぞ」
笑顔を崩さない晴香とは対象に、睨む目を逸らさないオニイちゃ…いや、鬼石さんだった。
そうだ。あの腕だったらマジに殺されかねない。気をつけよう。
何て思っている僕とは裏腹に、
「おう、オニイちゃん!よろしくぅ!ブラザー!」
「オニイちゃん、イケメンだよね。正宗とか持ってないの?」
怖いもの知らずの二人だった。
お前ら、仮とはいえ一回「殺され」てんだぞ?
だが、さすがの鬼石もこの二人の勢いにはたじろいでいる。ドン引きしている、と言ったほうが正しいかもしれないが。
「変な奴ら…お嬢並だ」
ぼそりと、鬼石は呟いた。

「これで全部かな…何か聞きたいことある?」
晴香の言葉に、僕は手を上げた。
「なぁに、フユキくん?」
「マスターは、わかる。僕があの日バイトに行くのは、わかってただろうから。でも、シンゴは?僕がシンゴの家に行くことは、予定になかった。なのに、どうやって先回りしたんだ?」
「フユキくんは、何で突然シンゴくんの家に行ったの?」
「それは…電話が通じなくて、」
直接、マスターの死を告げようと思って…
…?何で僕は、直接告げようなんて思ったんだ?
確かあの時…
『電話つながらないんでしょう?直接会ってきたら?』
「ササが…」
…まさか。
「いや、そんなはずは…」
「ない、って言い切れる?」
僕は咲々の方を見る。彼女は、タバコを一口吸って、うまそうに煙を吐き出した。
「そゆこと、だよ」
まさか…
咲々も、グルだった?
「察しはついているだろうけど、あたしは全部知ってたんだ、これが。って言っても詳しいことは知らなかったけどね。ただ、狂言でフユキをハメる、ってのは知ってたよ。それは謝る。ごめん」
「謝らなくても、いいけど…」
いいけど、一体、いつから通じていたんだ?
「フユキが、ハルちゃんを連れてきたときだよ。それ以外では、会ってない」
「あの時…?」
そんな時間が、あったか?
…ある。一回だけ。
晴香が出て行って、咲々が戻ってくるまでの、わずかな時間。
その時、二人は外で出会った。晴香が、簡単に事を話し、協力を頼んだ。咲々は了承した。
そんなことが、起こっていたなんて。
「あたしは、ほんとに何も話していないよ。『フユキくんを目覚めさせたいから、あたし、狂言の事件を起こす』って、それだけ言ったら、サっちゃんは、『何すればいい?』って。それで、さりげなく誘導してもらったの」
「そゆこと。謎は全てマルッと解けた!」
…ちょっと混ざってないか?
ともかく、そういうことか。
「でも、理由は…?何で、こんなことしたんだ?『目覚めさせる』って…警察まで出てきちゃったし…イタズラにしてはやり過ぎだと思うんだけど」
晴香はキョトンとした顔で、
「あぁ、警察?あれもね、全部ウチのスタッフ」
こともなげに言った。
スタッフ?
それって?
「え、でも、僕が110番にかけて呼んだんだけど?」
「フユキくん…あたしと番号交換したとき、覚えてる?」
「え」
あれは…確か、マスターが『殺される』前日?
「覚えてる…けど」
「あのとき、赤外線通信したじゃない?そこであたしは特殊な、けれど大して何てことないプログラムをひとつ添付して送ったんだ。そのプログラムの使命はただひとつ。110番にかけようとしたら、ウチの回線に繋がるようにすること」
「な」
そのとき、すでに、
僕の行動は読まれていた?
あの刑事の、あの言葉も、全部、演技だったのか?
「で、でも」
気を取り直して、
「それでも、その…スタッフまで動員して、この狂言をやったのは…何故?」
僕は尋ねた。
「それは…」
ちらり、と晴香が鬼石の方を見る。鬼石は無言で立ち上がって、僕の方に向かって歩いてきた。警戒に体が緊張する。
な、
何をする気だ…?
僕の目の前まで来ると、鬼石がグイと僕の胸倉を引き上げた。顔と顔が近い。意外にもいい匂いがする…って何言ってんだ僕は。
「お嬢に何かあったら…ただじゃおかねぇぞ」
僕にしか聞こえない音量で呟くように言い捨てると、鬼石は僕を放ってドアへ向かって歩き出した。
うーんと、もしかして、僕、嫌われてる?
「…さー、じゃあ、あたし達も、そろそろおいとましますか」
さすがは、咲々。何となく雰囲気を察したようだ。
「えー、気になるじゃねぇか、理由!リーズン!」
「…」
さすがは、真吾。まったくもって雰囲気など気にしていないようだ。
「シンゴちゃん…だっけ?せっかくなんだから、二人きりにしてあげようよ。必要なのはそれだけ。認めて」
「え、あ、そうか、フユキ!これから、か!がんばれよ!お邪魔しました!」
なぜか敬礼する真吾。酔っ払いか、お前は。
「…ってわけで、じゃーね。ばっはは~い」
真吾を引っ張りつつ、咲々もドアの方へ歩いていった。
「あ、そうそう」
…と見せかけて、例のごとく戻ってきやがった。
「体を触って、名前をちゃんと呼んであげるんだよ。くれぐれも読者の期待を裏切らないように」
そう僕に耳打ちすると、咲々は再びドアの方へと向かっていった。
余計なお世話だっつーの。
ていうか、さっきから、読者って誰だよ。
がちゃ。ばたん。
ドアが閉まる音。残されたのは僕と晴香の二人だけだ。
「…どうして、こんなことを?」
晴香を振り返って、僕は再び尋ねる。擦り切れたテープのような声で。
「どうして?」
晴香は立ち上がった。
「わからないかな?」
「…」
ゆっくりと、僕の周りを歩きながら、晴香は言う。
「どうしてこんなことしたかって?それはね…」
晴香の足が止まった。
「!」
ドン!
一瞬、だった。
晴香の足が止まった、その一瞬にして、僕はベッドに押し倒されていた。馬乗りになる晴香。その手は僕の首にしっかりと巻きついている。
この小さな体躯のどこにそんな力が…。
「復讐、だよ」
口元に笑みを浮かべたまま、晴香は言った。その目は、笑ってはいなかった。
背筋に寒気が走る。全身の血が凍り尽くすかのような。
まずい。
その両手に、力が加わってゆく。
ギリギリと締め上げられる、首。
ギリギリで回転している、思考。
「忘れちゃってたみたいだけど、フユキくん、君はあたしの復讐を奪ったんだよ。あたしの負けを盗み、あたしの死を拒絶し、あたしの敵を討った。あたしにとっては、人生最大の屈辱であり、人生最上の奇跡だった。それを、忘れちゃってるんだもんなぁ。1年間、散々探したんだよ?でも、手がかりはG大学と『フユキ』って名前だけ。ふつう『冬木』って苗字だと思うよ。でも、名簿片っ端から見てもそんな学生いないし。関係者全部見てもないし。偽名だったのかなぁ、とか思って諦めかけてたんだけど、まさか偶然出会うなんてね。そしたら…そしたら忘れちゃってるし」
しだいに、首にかかる力が弱まってくる。
…もしかして。
「ごほっ…晴香、もしかして復讐って、忘れてたことに対して?」
無言で頷く晴香。表情が怒っている。
「…忘れてて、ごめんなさい。でも、もう、思い出した」
そう、思い出した。
あの日何があったのか。
僕がなぜ大学を辞めたのか。
「思い…出した?」
「荒療治のおかげでね」
「忘れるほうが悪い!」
首にかかった手が、ほどける。
ぴし。
そしてなぜか、でこピンをお見舞いされてしまった。地味に痛いし。
「でも良かった、思い出してくれて。これでやっと言えるよ」
ぴょん、と身軽に僕の上から降りて、
「ありがとう」
そう言って、晴香は素早く僕に顔を近づけてきた。
ちゅ。
瞬きする間も、なかった。
えーと。
「えへへ、奪っちゃった。これでチャラにしてあげるよ」
晴香は悪戯っぽく笑った。
「…」
完全に固まってる僕。
正直、頭の中がオーバーヒートしてます。はい。
「ところで」
晴香は立ち上がって、固まっている僕を振り返る。
「まだ返事もらってないんだけど、毎朝あたしに味噌汁作ってくれる気、ある?」

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2011年2月26日 (土)

春に降る雪21 第五章 回想2


僕が目を覚ましたのは、ベッドの上だった。
白い天井。白いシーツ。白い壁。
まるで雪みたいに。
「…ここは?」
起き上がろうとすると、軋む全身が悲鳴を上げた。
「つっ!」
よく見ると、全身に包帯が巻かれている。完全にミイラ状態だ。
えーと、ここは病院?
よく思い出せないけど、何で僕はここに?
がらっ
タイミングよく扉が開いたので、思わずそっちを向く。
「お、起きてるじゃんフユキ!元気か?」
元気だったら、こんなとこいねぇよ。
ようやく、状況が飲み込めてきた。ここは病院。僕は怪我して入院している。真吾が今しがた見舞いに来た。
「いやぁ、びっくりした、びっくりした。まさか、フユキが学校で暴力沙汰なんてなぁ」
勝手に座り、自分が持ってきたリンゴをかじる真吾。自分用かよ。
「暴力沙汰?」
「なんか詳しくは公開されてないけど、大変だったみたいだぜ?マスコミっぽい野次馬もわんさか来てたし。お前は怪我してただけだろうけどさ。まったく気楽なもんだぜ。フリーダム!」
意味がわからない。
「えーと、よく覚えてないんだけど、詳しく教えてくれないか?」
素直に聞いてみた。
「マジで!むしろこっちが聞きたいくらいだっつの。情報は全部隠されてんだよ。大人たちの陰謀ってやつ?って、俺らももうハタチだし!大人だし!アダルツ!」
ふ、複数形!
「そう、てなわけで、根も葉もある噂がいろいろ流れてるくらいだな。やれ喧嘩だの、殺し合いだの、暗殺だの、逢引だの、まぁ、そんな感じだ。…お前と日々井准教授、できてたのか?」
「…」
何で、そうなる。
心外にも程があった。
というか、日々井准教授?
僕は、准教授に会ったのか?
「まぁいいよ。それで友達やめたりしねぇからさ。俺、優しっ!カインドネス!」
親切かよ。
「まぁ元気そうで良かったぜ。じゃあな、俺バイトだから!」
結局リンゴを独りで全部食べ終えて、真吾は帰っていった。

「こんにちは」
次の日に僕を訪ねてきたのは、黒いスーツを着た女性だった。20代後半くらいだろうか。落ち着いた物腰からすると、30代かもしれない。化粧は薄く、鋭く切れ上がった目が特徴的だ。
「私は、こういうものです」
僕が挨拶する前に彼女が差し出した名刺には、G大学理事長秘書・荒弾紘子、と書かれていた。
「早速ですが、理事長より貴方にお渡しする書面を預かってまいりました」
彼女はそう言って、白い封筒から一枚の紙を僕に差し出した。
「これは…?」
「見ての通りです」
退学届…?
「えっと、どういうことか説明してもらえますか?」
僕の反応を予測していたかのごとく、眉ひとつ動かさずに、彼女は説明を始めた。
「ヒノさん…先日、旧研究棟にて何があったのか、覚えておいでですか?…いえ、お答えいただかなくて結構です。貴方は、先日の旧研究棟での出来事を覚えていない。そういうことにしていただきたいのです」
「な…」
どういうことだ?
霧の向こうに薄れた記憶を、必死に辿る。
旧研究棟…?
そこに、僕が行った?
何故…?
頭が痛む。何かを拒むように。
「大学としては、今回の件を公にしたくないと考えます。幸い、マスコミ関係には記事を公にするのを自粛していただきました。もちろん、警察も介入しません。あとは…貴方次第です」
警察…。
警察沙汰になるような暴力事件。
それに、僕が関わった?
「…受け入れかねます。そんなことは」
あえて、つっぱねてみる。反応を見るためだ。
何があったのか、少しでも情報が欲しかった。
「…わかりました」
だが意外にも、彼女はあっさりと引き下がった。
それほどでもない、ことなのか?
「もし、貴方がこれ以上の要求をしようというのなら、それでもかまいません。ですが、お薦めはできない行為ですね。1日、ゆっくりと考えてみてください。私達は、警察の介入も押しとどめられるということを、ゆめゆめお忘れなきよう…。それでは私はこれで失礼します」
彼女は機械みたいに正確な、お手本通りの仕草で、病室から出て行った。
警察の介入を止められる。
つまりは…いつでも僕を消せる、ということか。
僕の手元には、一枚の退学届。
自主的に退学したと。
そういうことにしたいらしい。
僕は、何があったか覚えてもいないというのに。
どれだけ記憶を探っても、その断片は、掴んだと思ったら雲のように消えてゆく。
ちくしょう。

雪。
雪だ。
雪が、降っている。
でも、地面に落ちた雪は、何故か赤く染まってゆく。
血の色みたいに。
そっと雪に触れてみる。
…熱い。
『フユキくん』
声が、聞こえる。
誰の、声。
『さよなら』
え?
キィィ!
ブレーキ音。
ヘッドライト。
待って。
待って。待って。待ってよ!
僕を、置いていかないで!
熱い。
冷たい。
…暖かい。
『…ルカ』

夜明けとともに、目が覚めた。
体中から、汗が噴出している。気持ち悪い。
「ちくしょう…」
何も、思い出せなかったけど、
何かを失くしたのは、わかった。
何かを守れなかったのは、わかった。
だから、僕は、ここにいる。
ふてぶてしくも。わざとらしくも。
息をしている。
振りをしている。
小さく、
涙を、噛み殺した。

「早速ですが、お返事をいただきにあがりました」
丁寧なノックは、やはり荒弾秘書だった。
僕は無言で、自筆の退学届を差し出す。
「ありがとうございます。賢明な判断、理事長も喜びます」
やはり眉ひとつ動かさず、彼女はそれを受け取った。
僕は、一言も喋らない。頑固な貝みたいに。
「こちら、小額ではありますが、退学手当てです。お納めください」
秘書の差し出した封筒は、それなりの厚みがあったが、僕は黙って首を振った。
「そうですか…わかりました。貴方の意思を尊重します。それでは、私はこれで失礼します」
昨日と1ミリの狂いもない動作で、彼女は病室を後にした。
何が、『意思を尊重』だ、ちくしょう。
僕には、何の力もないことを、痛感させられた。
守る力も。
与える力も。
拒絶する力さえ。
顔を伏せていると、再び病室のドアが開いた。慌てて目尻を拭う。
「はーい、ヒノさん検診の時間ですよ~」
入ってきた看護士さんに、涙は見せずに済んだ。

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2011年2月14日 (月)

春に降る雪⑳ 第五章 回想1



3階の廊下は、薄暗く、静かだった。機能していない蛍光灯が、無表情に天井に並べられている。スイッチを探したが、階段の近くにはないようだ。仕方がないので、暗いままの廊下を僕は歩いた。
幼い頃探検した、放課後の学校を思い出させる廊下は、奥の方で右に折れていた。放課後、人気がなくなると、途端に恐怖の空間へと早変わりする学校。消火栓の赤い光だけがぼんやりと点って、すごく不気味だったのを覚えている。
廊下を進んで、角を曲がると、ドアのすき間から明かりが漏れだしている部屋があった。
あれだ。
直感でそう思い、足音を殺して忍び寄る。
ドアの横にプレートがあった。『日々井落陽』間違いない。日々井准教授の部屋だ。
ドアのすき間から、そっと中を覗いてみる。
中にはハルカの姿も、准教授の姿も見えない。物音ひとつなかった。
思い切って、僕はドアを開けた。
…もぬけの殻だ。煌々と部屋を照らす明かり以外に、存在を主張するものは何もなかった。
と、なると…どこだ?
僕は部屋を出て階段へ戻ることにした。
廊下を歩き、角を曲がる。そこで、僕は思わず立ち止まった。見覚えのある白衣姿が、目の前を歩いている。
暗くてよく見えないが、あれは…おそらく日々井准教授だ。階段の方からこちらへと、暗い廊下を歩いてきている。
だが、彼は独りで、ハルカの姿はない。
近くまできた彼に声を掛けようとして、僕は戦慄した。
彼の顔に貼り付いていた、笑みに。
その、歪んだ口元に。
なんだ、この不快感は?
なんなんだ、この不安感は?
僕に気付いた彼が、立ち止まった。眼鏡の奥から、鋭く冷たい視線が飛んでくる。
視線が、
交錯した。
「…」
声が、出せない。
「君は…」
准教授は、視線を逸すことなく、言った。
「…誰だ?」
「僕は…」
何とかそれだけ言葉を絞り出したが、二の句が告げない。
「…」
興味を失ったように視線を外すと、准教授は、何も言わず僕の横を通って、部屋に戻っていく。
「女の子を」
僕は振り返って、叫んだ。
「見ませんでしたか?」
准教授は一瞬だけ立ち止まり、再び歩きだした。振り返ることなく。
僕は再び振り返ると、階段へと急いだ。
ハルカは…?
日々井准教授の、あの表情。
なんだか、胸騒ぎがした。
階段を一段飛ばしで駆け上がる。上は屋上になっていた。
暗くなり、外灯に照らされた屋上には、雪が舞っていた。息が白い。
綺麗だな、と一瞬だけ、場違いなことを思った。
ハルカは屋上の真ん中で座り込んでいた。僕に背中を向けているので、表情は見えない。
右手に何かを握っているように見えたが、暗くて何かはわからなかった。
「ハルカ…さん?」
僕は呼び掛けながら、ゆっくりと近付いてゆく。
ハルカは答えない。
尋常ではない空気。
何が、あったんだ?
あと5歩というところまで近付いて、初めて気付く。
ハルカの右手にあるもの。それは…
「なっ」
…拳銃だった。
日常にはあまりにも不釣合いな、鈍い銀色の物体。
ハルカの細い腕の先に、それはしっかりと握られていた。
「…」
僕は思わず絶句する。
そうしているうちに、彼女の右腕が持ち上げられた。意志を持った別の生き物みたいに。
その腕は、ゆっくりと、
ゆっくりと、銃口をこめかみに突付けた。
引き金にかかる指。
「ハルカっ!」
僕は大声をあげた。自分でも、どこからそんな声が出たのか、わからなかった。
そこから、すべてがスローモーションのように流れていった。
彼女がゆっくりと、ゆっくりとこちらを振り向く。悲しみと虚しさがぐちゃぐちゃに交ざった瞳。
責めるでもなく、
頼るでもなく、
怒るでもなく。
駆け出した僕は、一歩踏み出した。あと4歩。
彼女の瞳が、僕の目に焦点を結ぶ。
視線が、交錯する。
…あと3歩。
ハルカは、僕を見つけて、そして、
微笑んだ。
それは、まるで、
全てを許すような。
全てを捨てるような。
全てを受け入れるような。
それでいて、全てを失くしたような。
そんな、哀しい微笑み。
胸がしめつけられるように苦しい。
頭がぼうっとする。
肌がヒリヒリと痛い。
呼吸が荒く聞こえる。
あと2歩!
「あぁぁぁあぁあぁぁ!」
僕は叫んだ。
わけもわからず、叫んだ。
あと、1歩!
ハルカっ!
0歩!
「さよなら…フユキくん」

ぱんっ

乾いた銃声が、響いた。

耳を劈くような音に、思わず目をつぶって。
目を開けたら、僕の膝の上に、ハルカはいた。
きっと、僕と同じように目を閉じて、そのまま横たわっていた。
彼女の頭に降り積もる雪が、じわりと赤く染まってゆく。
白く、白く、白く。
赤く、赤く、赤く。
熱い。
冷たい。
…暖かい。
僕は、哭いた。
ただひたすらに、哭いた。

「…何だ、君は」
気付いたら、僕は日々井准教授の部屋にいた。ノックもせず、乱暴にドアを開けると、冷ややかな視線が、眼鏡の奥から飛んできた。
どうして、僕はここに?
うまく、思い出せない。
意識に、薄い霧のようなヴェールがかかっている。
これは、夢?
「君は、さっきの…そうか。よくわからないが、君は『例外』のようだな。ふん…まぁいい。ここは君のような一般人の来るような所ではない。さっさと立ち去るんだ」
言い終わると、彼は再びめくっていたファイルに目を落とした。僕なんて初めから存在しないかのように。
何、言ってるんだ…?
よくわからないけど…僕は。
ポケットの中で、拳を強く握り締める。
どこかで拾った、朱いヘアピンに、その手が触れた。
立ち去ろうとしない僕に気付き、彼は顔を上げた。
「まだいたのか?警備員を呼ぶぞ」
内線電話の受話器を取ろうとした彼の腕を、僕は咄嗟に掴んだ。
僕は…何をしている?
何をしなくてはいけない?
「何を…?」
言いかけた日々井の顔面に、手加減なしの右フックをお見舞いした。
ばぎっ。
嫌な音。
歯が折れたのか?
「がっ…」
日々井はよろめいたが、倒れはしなかった。口元から薄く血が垂れている。
まだ痺れている拳で、僕は二撃目を叩き込む。
が、さすがに彼も、されるがままにはならなかった。再び顔面を狙った僕の拳を腕でいなすと、がら空きになった僕の鳩尾にキックを放つ。
どすっ。
ぐっ…。
胃の中身が逆流してくるのを、すんでのところで堪える。かなり強烈な蹴りだった。
「なめるなよ…ガキが」
前のめりになった僕の顔面に、容赦ない蹴りが飛んでくる。
ばきっ。
避ける余裕もなく、僕は吹っ飛ばされた。
「何が目的か知らないが、こうなったら仕方がないな」
倒れている僕の側まで、歩み寄ってくる日々井。
立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。
がっ。
「ぐあ!」
真上から振り下ろされてきた足に、なす術もなく頭を踏みつけられる。眼鏡の位置を直しながら、日々井は続けた。
「消えてもらおうか」
がっ。がっ。がっ。がっ。
連続して、振り下ろされる、足。もちろん、欠片ほどの容赦も、なく。悲鳴さえ、あげられない。
がっ。がっ。がっ。がっ。
顔、足、腕、腹。
ランダムに振り下ろされる、日々井の足。
意識にかかる霧が、色濃く、黒く、染まってゆく。
もう、ダメか…。
最早、痛みも薄れてきた。
僕は、
何で、こんなところに来たんだろう?
何で、彼に一撃を加えたのだろう?
あぁ、ダメだ。
意識が…
「…さて、こんなものか。ふん、あとは『業者』にまかせるか」
攻撃が、止んだ。
チャンス…だ。
だけど、体は言うことを聞かない。聞いちゃくれない。
動け。動け。
動け。動け。動け。動け。動け!
思いとは裏腹に、拳からは力が抜けてゆく。
からん。
握っていたヘアピンが、落ちてしまった。
あ、
返さなきゃ、いけない、のに、な。
返す…?誰に?
えーと…
微かな音に気付いたのか、電話の方へ向かっていた日々井が歩を止めて、振り向いた。
「なぜ、貴様が、それを?」
再び僕のほうまで歩み寄ってくると、僕には目もくれずに、ヘアピンを拾う。
彼は意外にも、愛おしそうに、そのヘアピンを眺めた。
「あおい…」
隙、ありだ。
上着の内ポケットに忍ばせていた、銃を取り出す。
何故そんなものを持っているのかも、わからずに。
震える手で、日々井に銃口を向ける。
彼は、黙ってそれを見下ろしている。
「それが…お前の望みなんだな、あおい」
彼は、目を閉じた。
僕も、目を閉じた。
ぱんっ。


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2011年1月30日 (日)

春に降る雪⑲ 第五章その4


さすがに、高級ホテルの部屋というべきか。
取ってあった部屋は、思ったより広く、思ったより豪華で、思ったより綺麗だった。
入って最初の部屋(部屋の中に部屋があるのだ)は、リビング。ゆったりとしたソファと、最新式のプラズマテレビ。趣味のいい調度品が淑やかに配置されている。
奥のドアを開けると、寝室だった。3人は優に寝られるであろうサイズのベッドが2つ。ベッドの向かいにはこれまたテレビが配置されている。クローゼットも、2人で使うには余りある大きさ。一番奥は全面窓になっていて、都心の鳥瞰図が眼下に広がっていた。
「どう?」
「すごいな…」
素直な驚きが口をついて出た。一体、いくらの部屋なのだろうか?相場を知らない僕には、想像もつかない。こんな部屋が存在すること自体、想像の範疇外だった。
「ふふふ、驚いてくれて嬉しいな」
晴香は、バッグを放って、ベッドに腰掛けた。
僕は、コートを着たまま窓の傍に立つ。埃っぽいコンクリートジャングルが眼下に広がっていた。
胸に手を当てる。
硬質なその感触を確かめるように。

僕は、深く深く深く、息を吸った。

「今日…ちょうど待ち合わせしてた時間にさ」
晴香に背を向けたまま、僕は切り出した。
「ウノエさんに、電話したんだ」

待ち合わせの時間。新宿駅西口改札。
僕は、ケータイを耳に当てた。
『もしもし』
『こここコウくん?どうしたの』
卯之恵さんはもう、いつも通りだった。それがわかれば、十分だ。
『いえ、なんでもないです。ごめんなさい』
『え?』
僕は電話を切ろうとした。彼女の無事を確かめたかった、それだけだったのだ。
ケータイを耳から離そうとしたそのとき、電話の向こう側から微かに声が届いた。
『コウくん…』
あわてて、ケータイを耳に戻す。
『はい?』
『がんばってね』
それだけ言って、卯之恵さんは電話を切った。
つー、つー、つー。
僕は、そのまましばらく動けなかった。
ぎこちなく、ケータイを耳から離し、閉じる。
僕は、
間違っているのか?
それとも、
正しい?
教えてくださいよ、ねぇ。
不意に、後ろから声が聞こえた。
『やっほぉ、元気?』

「…ウノエさんって?」
晴香が聞き返す。当然の疑問だ。彼女は、卯之恵さんとは面識がない。僕の知る限り。
「誰の話?」
「僕が、…殺し損ねたヒトだよ」
僕は視線を上げる。窓の外には、ペンキで描きなぐったような、空。
目から、知らずと涙が溢れてくる。
血を、洗い流そうとするように。
傷を、癒し治そうとするように。
止まらない。
痛み。
「おかしいと思ったのは、銀髪の彼をの言葉を聞いたとき」
僕の口から、するすると言葉が流れ出す。
単調で、
短調の、メロディ。
「彼は、僕を『フユキ・コウセツ』と呼んだ。でも、それは…決定的におかしい。有り得ないはずなんだ」
「えーと」
晴香は、戸惑うでもなく、焦るでもなく、怒るでもなく、
「話がぜんっぜん見えないな。フユキくん、何の話をしているの?その誰かさんにフルネームで呼ばれるのが、そんなに有り得ないこと?」
淡々と言う。
「そうだよ…有り得ないことなんだ。なぜなら、」
僕の奏でるメロディは、途切れない。
「僕の名前は、日野降雪(ひのふゆき)。降る雪と書いて、フユキ、って名前なんだ。『コウセツ』っていうのは、漢字の読みからきたあだ名なんだよ」

『エフ』で働くことになった、初日。
マスターと卯之恵さんは、僕の履歴書を見て、
『ヒノ、コウセツ?』
『めめめ珍しい名前だね』
予想通り、読めなかった。
フリガナ振ってあるんだけどな…
『降る雪…コウセツって書いて、フユキって読むんです』
一応、補足すると、
『そうか…じゃあよろしくな、コウセツ』
『よよよ宜しくね、コウくん』
…人の話、聞いちゃいねぇ。
そうして、『エフ』では『コウセツ』の名前が定着した。

「彼が、事前に僕の名前とか、個人情報を何らかの方法で調査していたとしても、僕の名前を『フユキ・コウセツ』だと勘違いすることは有り得ない。漢字の読み間違いで『ヒノ・コウセツ』だと思うことは有り得てもね」
『日野降雪』を『フユキ・コウセツ』と読み間違うわけがない。
「マスターとウノエさんは履歴書を見ているから、言わずもがな。ササは幼馴染だから僕の名前なんて当然知っているし、とある事情でシンゴも僕の個人情報には精通している。つまり、僕が『フユキ』と呼ばれる場面も、『コウセツ』と呼ばれる場面も知っていて、尚且つ僕の本名を知らなかったのは…」
僕は振り向いた。
「ハルカ、君だけだ」
「…」
「この事件は、明らかに僕が標的だ。僕の身近な人々を殺し、僕を孤立させて、犯人にしたてあげる。そして、最後に始末する。僕を追い詰めるのが、目的。なのに、犯人は僕の身近な人であるウノエさんを見逃し、越してきたばっかりのササを殺した」
この一年間、僕の身近にずっといた卯之恵さんを知らず、
つい3日前に、前触れもなく転がりこんできた咲々を知っていたのは、
晴香。
唯、一人。
僕は言葉を紡ぎながら、ゆっくりと晴香に近づく。
「おそらく、実行犯はあの銀髪の彼。明らかに素人ではなかったしね。だけど、その彼を影で操っていたのは、」
僕を、殺そうとしたのは。
マスターを、
真吾を、
咲々を、
殺したのは。
僕は胸ポケットからゆっくりと銃を取り出す。鈍く銀色に光る、自動式拳銃。
重い。
これが、命の重さか。
かちっ。
僕と晴香は向かい合った。生と死のガラス越しに。
あるいは、真実と嘘の。
僕の右手の銃の照準は、ゼロ距離でピタリと晴香の眉間に合っている。
手は、震えなかった。
「君なんだね…ハルカ」
証拠は、なにひとつない。
偶然と言ってしまえば、それまで。
これがミステリー小説なら、読者は怒り狂うであろう、無茶苦茶な穴だらけの推理。
嘘だと、
言って欲しかった。
違うと、
否定して欲しかった。
バカじゃないのと、
笑い飛ばして欲しかった。
欲しかったのに、
「だったら、」
晴香のまっすぐな視線が、鋭い刀のように僕の内側を斬り裂く。
ズタズタに。容赦なく。
「どうするの?」
僕は。
僕は、僕は、僕は。
撃てよ。
僕の中の僕が怒鳴る。
このために来たんだろう?
だったら。
どうするの。
どうするのどうするのどうするの。
汗が噴出す。
喉がカラカラだ。
ハルカとの距離がわからなくなる。
僕が誰だかわからなくなる。
僕は僕は僕は僕は僕は。
「マスターは、」
誰だ、話しているのは?
「大学を辞めて途方に暮れていた僕に、道を示してくれた。優しくって、怖くって、身勝手で、よく笑って、ゲームの話ばっかり引き合いに出してさ。殴られもしたな…でも料理は抜群にうまいんだよね。すっごく不器用だけど、僕を受け入れてくれた。そんなマスターが、僕は好きだった」
話しているのは…僕?
「シンゴは、後にも先にもない、唯一、大切な親友だった。酒好きで、勢いばっかで、うるさくて、面白くて、趣味が合って、でも真逆で。理解できないけど、一番の理解者だった。何ていうか…お互いがお互いの空気みたいな存在だったな。普段は気にしてないけど、なくてはならない存在。そんなシンゴが、僕には必要だった」
僕の口から、ひとりでに言葉はあふれ出す。
「ササは、家族同然の幼馴染だった。いつも言ってることがわかんなくて、妙なテンションで、変に姉御肌で、へビィスモーカーで、意外に気が利いて、僕が困ったときは助けてくれて、自分が困ったときは助けを求めてきて。姉であり、妹みたいな感じだな。血はつながってないけど、僕に残された、唯一の家族。そんなササが、僕には愛しかった」
沈黙。
僕も、晴香も、微動だにしなかった。
ぼんやりと、視界が霞む。
ハングアップしそうな、頭。
銃を持つ右手に力が入る。
僕は歯を食いしばった。
叫びたい。
壊したい。
何もかも。
誰もかも。
そんな僕を見て、晴香は、
静かに、微笑んだ。
全てを許すような、
全てを捨てるような、
全てを受け入れるような、
それでいて、全てをあきらめたような、
安らかな、微笑み。
いつか、
どこかで、見たような。
「いいよ…殺して」
その言葉に、表情に、
鷲掴みにされる、心臓。
僕は、僕は、僕は、
僕は。
早く!早く撃つんだ!
頭の中の僕が怒鳴っている。
思い出す前に!
…わかってるよ。
僕は右手に力を込めて、
その銃口を、自分のこめかみへと向けた。
もう、思い出したんだ。
思い出したんだよ。
あの日、僕は、
僕は、晴香を救えなかったんだ。
そう、殺してたんだよ。
同じことさ。
だから、もう殺せない。そうだろ?
だから、代わりに僕を殺すことにしたんだ。
世界を壊すことにしたんだ。
僕は、泣いている?
それとも、笑っている?
マスター、
真吾、
咲々、
僕を、許してくれる?
じゃあね。
さよなら、晴香。
僕は、引き金を引いた。


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2011年1月21日 (金)

春に降る雪⑱ 第五章その3



「つまりさ、それがかっこいいんだよ」
「うーん、でも、逆に言えばそれって敬遠される最大要因じゃない?」
「それを恐れてちゃ、どうしようもないよ」
「まぁ、そうだけど」
「憧れちゃうよねぇ」
「うーん、わからん」
「まぁ、言葉はよくわかんないんだけどさ。なぁんか、いいんだよ」
「そう?」
「すごい、聡明なヒトだと思うな」
「へぇ…」
「なんか、見えてくるんだよね」
「何が?」
「心」
「心って…」
「やっぱり、何かを創れるヒトってすごいよね。絵とか、曲とか、物語とか、もちろん料理も」
「まぁね」
「あー、謙遜とかしないんだ」
「冗談だよ…僕は、創作なんてできない」
「どして?」
「空っぽだから…かな」
「またまた、かっこつけちゃって」
「かっこいいかな?」
「うーん、重症。治療が必要ですな。ってわけで今度聴いてみてよ。貸すから。ジヘンもいいよ」
「ジミヘン、じゃなくて?」
他愛もない会話。
他愛もない時間。
西新宿のホテルの、52階にあるレストランに僕らはいた。晴香曰く、お洒落だけど割とカジュアルなレストラン、らしい。テーブルマナーもろくに知らない僕には、縁のないような場所だ。
少し迷ったが、コートは拳銃ごと入り口で預けてしまった。あの重さを訝しく思っても、おそらくは触れないでいてくれるだろう。こういうところはワケあり客も多いはず。故に、客のプライベートには、決して立ち入らないようにしている…はずだ。
まぁ、見つかったら、そのときはそのとき。
あるいは、諦めに近い感情だったのかもしれないが。
そのときの僕にはなぜか、銃を咎められることはないであろう確信があった。
必ず、晴香に銃口を向ける時が来るであろう確信が。
それが運命だと、
そう言わんばかりに。
そして僕は丸腰で、今晴香と向かい合っている。
笑い合っている。
他愛もない話をしながら。
卒のない食事をしながら。
安い舞台を、演じている。
周りから、僕らはどう映っているのだろう?
ちょっとませたカップルか。
はたまた、仲のいい兄妹か。
殺す側と、殺される側には、
狩る者と、狩られる者には、
見えないんだろうな。
ぼんやりと、そんなことを考えながら、晴香の言葉に相槌を打つ。
「へぇ…そうなんだ」
「そう!まぁそういうことよ。すごいよね」
何の会話なのか、全然頭には入ってこないが、不思議と僕はうまく対話を成立させている。僕ではない誰かが後ろにいて、腹話術士みたいに僕を操っているのだろうか。
  まぁ、いいや。
適当に、よろしくお願いします。
自動式の会話も、窓からの絶景も、目の前の料理の味も、僕の心には届いていなかった。
僕の心は、まだ家にいる。
あのクローゼットの中にいる。
頭の中では、僕でない僕が次の行動をせっついている。
…人気のない場所に、誘い込まないとな。
何と言えばいい?
どうしたら、うまく誘い込める?
知らねぇよ。
「…じゃ、今度行こう!約束ね、約束」
「うん、オッケー」
何の約束をしたのかもわからないまま、僕は頷く。
晴香は笑って、
僕も笑った。

普段であれば至福の喜びをくれるであろう料理も、今日の僕にとっては、味気ない紙粘土も同然だった。機械的に、ただひたすらに目の前の皿に載ったモノを消化していく。いつの間にか残るはデザートだけになっていた。メインが何だったかも思い出せないのに。
デザートはビュッフェ形式だった。これでもかと、恥ずかしくなるくらいに皿いっぱいにデザートを盛る晴香に対し、僕は申し訳程度に2、3種類だけ皿に載せた。
「あれ、フユキくん、甘いもの好きじゃないんだ?」
「ちょっと今日はお腹いっぱいでさ…って、ハルカ、それ…全部食べれるの?」
「うーん、遠慮したつもりなんだけどな」
どこがだ。
幸せそうにパウンドケーキを頬張る晴香に対して、僕は紙粘土でも飲み込むかのような気分で、フルーツで彩られたヨーグルトのようなものを口に運んだ。全然味がしない。
「あー、幸せ。何が幸せかって、美味しいスイーツ食べることほどの幸せってなかなか巡り合えないよね」
「…」
気づけば、晴香の皿はすでに半分ほど空になっていた。おそるべし。
「ようし、こうなったら飲んじゃおうか?」
…今から?
「なーんてね。うそだよ~。そんなマジな顔しないしない」
なぜかどんどんテンションを上げていく晴香。
そして、どんどん表情が引き攣っていく僕。
平和だ。
醜悪なほどに。

だけど一瞬だけ、
ほんの一瞬だけ、
この時間が永遠だったらな、と、
そう思った。

結局、僕の皿のデザートも晴香がすっかり食べ終えて、食後のコーヒーが運ばれてきた。
僕はブラックで。晴香は砂糖入り。
「あのさ」
一息ついたところで、晴香が切り出した。
「実は、部屋とってあるんだよね」
え?
平然とした顔で、晴香は鍵を見せた。紛れもなく、ここのホテルのカードキー。
まさか。
予想外だ。
だけど…好都合。
晴香は僕を見ている。
表情からは、感情は読めない。
視線が、
交錯した。
「…タバコ、吸っていいかな」
僕は、ポケットからタバコを取り出す。昨日、咲々の荷物から拝借してきたマルボロだ。慣れない手つきで火を点け、吸い込んで、吐き出す。
ちっとも、美味しくなかった。
晴香はまだ、黙って僕を見ている。
永遠とは、きっと、こういう時間のことなんだろう。
そんなことを、考える。
考えてもしかたのないことを。
もう一人の僕が言う。
迷うことはない。迷う意味も、理由も、意義も、大儀も、正義すらもない。あるのは、真実という名の暗黒だけさ。なぁ、もう、決めてるんだろう?
…まぁね。
それでいいんだ。お前ならやるさ。間違いなく、ね。
…。
一年前もそうだったしな。
一年前…?
忘れたのか?
一年前…

「フユキくん、タバコ吸うんだね」
晴香の声で、僕は我に帰った。
たなびく紫煙。戯れるグラスの音。流れるジャズ。
現実は何一つ、変わっちゃいない。
「うん…まぁね」
もう一口吸い込んで、吐き出す。
この前あんなにむせたタバコにも、今は何も感じない。
それほどまでに。
それほどまでに、僕は。
思い出したように、指に挟んでいたタバコを揉み消す。
「…じゃ、行こっか」
僕は、立ち上がった。



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2011年1月 4日 (火)

春に降る雪⑯ 第五章その1



結局、家には戻らなかった。戻れなかった、と言ったほうが正しいのかもしれない。正直、咲々の亡骸をもう一度見たくはなかった。もう、疲れてしまったのだ。「死」というものに。
身近になった「死」に。
いや、初めから身近にあった、「死」に。
「もう、いいだろ…」
内ポケットの銃に触れながら、ぼそりと呟く。思った以上に、それは重かった。
また、銀髪が襲ってくるかもしれない。
おそらくは、しても無駄であろう警戒をしながら、極力人のいる方向へと足を進めた。奴と僕の実力差は明らかだ。
素人と玄人。プロとアマチュア。いや、それ以上か。恐竜に挑む蟻、と言っても過言ではないかもしれない。
ついさっきの攻防で僕が生き残れたのは、偶然と、おそらくは奴の油断によるものだ。奇跡的に、僕は生きて還った。それが、運命というものなのかもしれない。
僕には、やるべきことがある。
まだ、終わっちゃいない。
まだ、晴香がいる。
ふと、思い出してケータイを開く。
3月9日の表示。
そう言えば…食事の約束って今日になるんだよな。
約束をしたあの日が、ずいぶん昔に感じられる。
たった、3日前なんだけど。
『フユキくん…明々後日のお昼、空いてる?』
晴香の声が耳に甦る。
『じゃあ新宿駅で待ち合わせね。あたしがおごるからさ』
新宿、か。
行くしか、ないよな。
駅前の公園に着いたところで僕は足を止めた。下町とは言え、駅前まで来ると、この時間でもいくらかは人が歩いている。ここなら近くに交番もある。そう簡単には襲ってこられないはずだ。
時計を見ると、時刻は1時を過ぎていた。
明るくなって、人々が活動し始めるのは何時くらいからだろう?
5時?6時?
それまで、警戒を保てるか? いざとなれば…この銃で、
やるしかない。
奴も。
僕はここで朝を待つことにして、ベンチに腰掛けた。
目の前に、亀の形をしたオブジェクトがあった。大・中・小の亀が重なって、噴水になっている。その上には、『ダメ、ゼッタイ』とデカデカと書かれている、環境問題へのスローガンらしき看板が掲げてある。
そのときの僕の目には、神様からの、僕に対するメッセージのように見えた。
ダメ、か。
ダメ、かなぁ。
ダメ、でもさ、
でも、やらないと。
人の道に外れようと。
獣の道に反しようと。
僕はポケットの中の銃に触れた。
その冷たさに触れた。
晴香も、
…殺さないと。

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2010年12月28日 (火)

春に降る雪⑮ 第四章その5~回想4


建ったばかりのマンションの影に、三丁目の公園はあった。
もともと一軒家の乱立する路地の奥にあった公園は、新築のマンションが建ったことによって、大通りからは完全に死角になっている。忘れ去られたような場所だった。
閑静な住宅地。時刻は0時を過ぎようとしていた。
公園、という名ではあるが、遊具といえば、今にも壊れそうなブランコと、申し訳程度のすべり台だけで、あとはただの広場といった感じだ。子供たちにとっては何も無い方が、自由に遊べて良いのかもしれない。あるいは、単なる予算不足か。
そんな、白い外灯に照らされたブランコに、一人腰掛けている人物。
黒いコートに、特徴的な長い銀髪を後ろで束ねている。
あいつだ。
僕が近づくと、銀髪はゆっくりと立ち上がった。
190センチもあろうかと思わせる長身。体格は並といった程度。むしろ痩せているほうか。影になっていたため、表情までは推し量れなかった。
「フユキ・コウセツだな?」
先に声を出したのは、銀髪の方だった。少年のような、高い声。外灯に照らされた銀の髪が揺れる。
僕は返答できず、ただ黙っていた。
なぜ?
なぜその名前を知っている…?
「刑事さんに聞いたぜ。お前、殺人鬼らしいじゃねぇか。なんて奴だよ」
銀髪は喋り続ける。からかうような、笑いが混じった声だった。
真吾の家での会話を、聞いていたのか?
つまり、あの現場に、いた?
「お前は…誰だ」
僕は怒りを殺して、問うた。
お前が、やったのか?
マスターを、真吾を、咲々を、
お前が…!
今にも溢れそうな感情を、抑えるのに僕は必死だった。燃えるように、胸が熱い。心臓は暴れまわるし、胃は煮えたぎっている。だけど、それはそのまま、奴の付け入る隙になる。冷静にならなくては。心を鎮めなくては。
奴を、殺すために。
「俺か?俺は…」
銀髪の視線が空へと向く。
「殺し屋だよ」
…何?
思わぬ返答に虚を突かれた、その刹那、
目の前から銀髪の姿が消えていた。
瞬きをしたわけでもなく、
目も逸らしてはいないのに、
先ほどまであった姿が、まるごと消え失せていた。
「なっ…」
「それじゃあ、」

不意に聞こえてきた声は背後からだった。
振り向こうとした瞬間、後ろから腕ごと体を羽交い絞めにされる。しかも、左腕だけで。僕の両腕は封じられ、銀髪の右手は自由なままだ。
「…っ!」
振りほどこうともがいてみるが、びくともしなかった。怪力というわけではない。最小限の力で、どこをどう押さえれば相手を無力化できるかを熟知した押さえ方だった。
くそっ!
「死んでもらいますか」
かちっ。
「!」
右のこめかみに当たる冷たい感触。
目をギリギリまで右に寄せて確認した・・それは、
日常では有り得ない、モノ。
一般人は触れることのない、モノ。
間違いなく、それは、拳銃だった。
まずい。
終わりだ。
これがシナリオ。
これがフィナーレ。
全身から、血の気が引くのがわかる。
「死」が、実感として伝わってくる。
体を支配していた熱が、凍り付いていくのがわかる。
今、僕の頭につきつけられている・・コレは、本物だ。
銃口から伝わってくる、鈍い冷たさが、昏い重さが、それを証明している。
記憶が、走馬灯のように駆け巡る。
死ぬときって、ホントにこうなるのか…。
父さん。
頑固で、頑なに正しかった、父さん。
母さん。
子供みたいで、でも本物を知っていた、母さん。
ヘッドライト。
バックミラーに映った、光。
ブレーキ。
耳を貫く、音。
病院。
鼻を衝く、薬の匂い。
地下。
綺麗な、青白い顔の、二人。
ササ。
逃げ出す僕を、黙って抱きしめてくれたっけ。
東京。
全てを忘れさせてくれた、都会。
大学。
囲われた、僕の世界。
学食。
いつもの、ルーチンワーク。
シンゴ。
変化の兆しを、くれた。
『エフ』。
あんな店、初めてだった。
マスター。
よくわからない、人だったけど。
ハルカ。
そして、僕は彼女に出会う。
雪。
雪が…降っていたっけ。
弾ける音。
何の、音だ?
退学届。
僕は、確かにそれを書いていた。
酒。
マスターに殴られた、夜。
ウノエさん。
いつでも、優しくて、強い人。
向日葵。
夏が、去って。
北風。
また、冬が来て。
3月。
そして、1年が経って。
駅。
再び、出会った彼女。
501。
ササも、転がり込んできて。
薬壜。
有り得ない、光景。
刑事。
僕が、コロシタ?
言葉。
わからない、伝わらない。
水の音。
声も、出ないほどに。
銀髪。
すれ違った、影。
紙切れ。
僕は、闘いを決意して。
名前。
なぜ、それを知っている?
拳銃。
終わりの、風景。
チェック・メイト。
…あれ?
まさか…。
そんな。
「さよならだ」
耳元で囁く銀髪の声が、どこか遠くに聞こえる。
そうか…そういうことだったのか。
だったら、僕は、
僕は、こんなところで死んでいるわけにはいかない。
だが無情にも、銀髪の指はすでに引き金に掛かっていた。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!
必死に体を動かすが、銀髪の腕はビクともしない。
…万事休す、か。
「おやすみ、フユキちゃん」
銀髪が囁いたそのとき、
――!
そのとき、ほんの一瞬だけ、
ほんの一瞬だけ、僕を捕らえている腕の力が緩んだ。
僕に与えられた、最後のチャンス。
逃して、たまるか!
生きようとする意志が、爆発的な暴力が、体を駆け巡る。
その隙を逃さず、僕は思いっきり腕を振るって、掛け声と共に、
「うあぁ!」
銀髪の腹に、ありったけの力を込めたひじ撃ちをかました。
どすっ!
「うっ」
銀髪の口から、呻き声が漏れる。
がしゃんっ。
銀髪が拳銃を取り落とした。結構効いたようだ。すかさず、僕は思いっきり暴れて腕を振り解くと、落ちた拳銃を蹴り飛ばす。
がしゃっ
銃は、回転しながら離れていった。
よしっ。
今しか、ない。
振り向いて、銀髪と正面から相対する。外灯に照らされたその顔は、長身に似合わない華奢な顔立ちだった。
距離はゼロ。勝負は一瞬だ。
「てめぇ…」
僕はポケットに手を突っ込んだ。このために用意した「切り札」。咲々の荷物の中にあった、特製スタンガンを、僕は持ってきていた。あいつの彼氏によって、強力に改造されている、護身用にしては強力すぎる代物だ。
『ほら、あたしってば、か弱いカリソメ乙女だからさ』
なんて言ってたっけ、あいつ。
洗面台のところに無造作に置いてあったから、危うく髭剃りと間違いそうになった。
『よかったねぇ、フユキ。スイッチ入れたら、病院行きだったよ』
『そんなに強力なのかよ!』
そんなもの、無造作に置いておくなよ…
そうは言ってみたものの、相変わらず洗面台に置いてあった、スタンガン。
闘いを決意した僕の目に入ったのが、それだった。
僕が勝つには、一撃必殺のこいつをお見舞いするしかない。
スイッチを入れながら、奴に向かって突き出した。
「あぁぁぁ!」
「うらぁぁ!」
銀髪も、ほぼ同時にパンチを繰り出してきていた。
ばきっ!
バチィッ!
銀髪の拳は、僕の顔を真横から正確に捉えた。体ごと吹っ飛ばされる。偶然にも、1年前マスターに殴られたのと同じ箇所だった。
僕のスタンガンも銀髪を正確に捉えた。が、服の上からだったためか、ダメージは浅かったようだ。僕は地面に崩れ落ち、奴はまだ平然と立っている。
ラストチャンス、だったのに。
「もう、あきらめな」
倒れた僕にゆっくりと歩み寄りながら、銀髪が言う。
僕は上半身だけ起こし、それに相対する。
「そうは、いかないみたいだ」
なぜなら、運命は僕に味方した。
かちっ。
「!」
僕が構えたのは、先ほど蹴り飛ばした拳銃だった。ちょうど、僕が殴り飛ばされた所が、拳銃が転がった場所だったのだ。
僕の蹴りの弱さと、銀髪のパンチの強さが、この結末を呼んだ。
「…ちっ」
後ずさる銀髪。
「僕は、お前を…許さない」
僕は、躊躇せず引き金を引いた。
ぱんっ!
衝撃に、思わず目をつぶる。
ぱんっ!ぱんっ!
3発撃ち終えて、おそるおそる目を開けると、見えたのは銃口から細く立ち昇る煙だけで、すでに銀髪の姿はどこかへ消え失せていた。
当たったのか、避けたのか。
隠れたのか、逃げたのか。
どちらにしても、この音で起こされた住民が、様子を見に来るかもしれない。
さすがに、それはまずいな…。
ここで捕まるわけには、いかない。
僕は、やり遂げなきゃならない。
そういう、運命なんだ。
僕は銃をコートの内ポケットに突っ込んで、足早に公園を後にした。
ずしりと、胸に重かった。


               *

「うーん、どうするか」
僕は誰もいないロビーで独り呟いた。手のひらの上のヘアピンを眺めながら。

ハルカと別れて、僕は先ほどまで、来た道を戻っていた。
別れ際の彼女の表情が、無性に気になっていた。
『あー、なんでもない』
絶対、何かあるよな…。
だが、部外者の僕が何か口出しできるか?
悶々とした気持ちで、とぼとぼと僕は歩いた。
寒いな…。
風は容赦なく吹き付ける。そんなんじゃ、コートは脱がせられないぞ。
何かが落ちているのに気が付いたのは、ちょうど半分ほど道を戻った辺りだった。鈍く光る、朱いヘアピン。だいぶ年季が入っているみたいだ。
ハルカの鮮やかなオレンジ色のヘアピンを思い出す。
タイミングから見て、彼女の物だろう。きっと。
そっと拾って、ポケットに入れる。
僕は引き返すことにした。この落とし物を届けるために。
あるいは、もう一度彼女に会いたいがために。

研究棟まで戻り、ロビーに入った。蛍光灯の明かりがやけに眩しく、リノリウムの床を照らしていた。人の気配は、ない。長椅子が、平坦にいくつか寝そべっているだけだった。
5分ほど待ったが、ハルカが戻ってくる様子はなかった。
引き返している途中で会わなかったということは、まだおそらくはここにいるはずだ。
准教授の部屋を探してみるべきか?
ここで待つべきか?
あきらめて帰るべきか?
答えは?
「…さぁて」
僕は呟きながら、ポケットの中のヘアピンを握りしめた。
入り口の案内を見る。1階・ロビー。2階・実験室、院生室。ということは、日々井准教授の部屋は…3階だ。


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